Ghetts / Conflict Of Interest

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コンシャスネスを醸し出す声色にオフビートのフロウとファスト・ラップ、ピアノや管弦楽器を多用したリリカルで、時に蒸せ返る程にメロドラマティックな作風はKanoを思わせる。
ソウルフルな女声ヴォーカルをフィーチャーしたM10は何処かThe Roots「Undun」に通じるし、憂いを帯びたピアノの音色が印象的なM11は、やはりThe RootsErykah Baduの「You Got Me」を彷彿とさせる。

M16はDaveの声がCommonの新曲だと言われても信じてしまいそうで、要するにネオ・ソウル的な洗練を纏った印象が強く、Kano「Hoodies All Summer」同様にグライム第二世代の成熟(老成?)を感じさせる作品である。
プリミティヴィティやシンプリシティがグライムのアイデンティティだった時代を思えば随分と遠くまで来たものだ。

如何にもグライムらしいトラックは少なく、やはり多少なりともモダンなUSヒップホップ/トラップの影響を感じさせるが、それでもキックやサブベースは動きが多く、ジャジーなUKガラージ/ブロークン・ビーツ風のM7や、Giggsが参加した地を這うヘヴィなベース・ラインと荒凉としたサウンド・スケープがオリジナル・ダブステップのようなM14等、ビートの多様性に於いてグライムの伝統を継承している。

Ed SheeranやStormzyにPa Salieu等、他の客演も見事にブリティッシュで統一され、SlowthaiにHeadie One、AJ Traceyと最近立て続けに聴いた中ではUKヒップホップ、言い換えればグライムとの連続性を最も強く感じると同時に一番すんなりと受け入れ易い作品ではあるが、その分驚くようなところは余り無い。

Tune-Yards / Sketchy.

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エレクトロ色の強かった前作に較べて、シンバルを殆ど用いないブレイクビーツ風のプリミティヴな生ドラムのサウンドが復活し、更にはシンプルなベースがより前面に押し出される事で「Whokill」に通じるファンクネスが横溢している。
とは言え同作の特徴であったエスニシティは抑制されており、インタビューによればエスニック/トライバルな要素を無邪気に借用する事への逡巡もあるようだ。

勿論Merrill Garbusの歌声や独特のメロディ・センス、ファニーな装飾音等の魅力は健在だし、曲によってはこれまでと同様にピアノや管楽器がフックになっているものの、ドラムとベースのリズム・セクションが前面に出てよりタイトになった印象を受ける。
喩えるなら骨と皮のみで成立しているようとでも言うか。

代わりに今までは余り感じる事のなかった湿度、言い換えれば叙情性が表出したような印象もある。
M3のコーラスに於けるベースラインのコード転調は、最初Tune-Yardsにしては些かストレート過ぎるようにも思われたが、聴き込む程にしみじみとした感動を呼び起こす佳曲。
M7も大らかな抱擁力やポジティヴなメッセージ性を感じさせるし、仄かに憂いを帯びたM10も良い。

些か出来過ぎた話ではあるが、奔放で無垢な好奇心の発露のようだった「Whokill」が幼児期で、前作「I Can Feel You Creep Into My Private Life」が思春期の混乱を表象するようだったのに対して、本作は間違いなく成熟や思慮深さ、つまりは大人になったTune-Yardsを想像 させる。
それでもアルバムの終わりにはフリーキーな叫び声(Merrill Garbusの妹によるものとの事)を差し込まずにはいられないところが如何にも彼等らしく微笑ましい。

Cloud Nothings / The Shadow I Remember

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冒頭ピアノの音色に、また似たようなアメリカン・インディ・ロックかと思ったが、紛れも無くSteve Albiniによる目の粗い乾き切ったギター・サウンドと、M1の後半で急に前のめりで進み始めるドラムに、懐かしく狂おしく泣きたくなるような感情が呼び覚まされる。
上昇するコード進行と疾走感、緩急、迸る激情、書いていて恥ずかしくて鳥肌が立ちそうだが、確かに自分のルーツの在処を思い出させる。
これこそが本来エモと呼ばれていたものだ。
エモラップは今すぐに鬱ラップに改称すべきである。

続くM2もCowpersやNumber Girlのような、90’s後半から00’s初頭のジャパニーズ・ポスト・ハードコアを想起させるし、加えてプレーンな女声ヴォーカルはFucked Upを、間奏部の加速するノイズ・ギターはSonic Youthを彷彿とさせる。
M3のポップ・パンクは宛らBuzzcocksみたいであると同時に、胃の奥から吐き出すような嗄れ声のシャウトはKurt Cobainを彷彿とさせる。

M4やM9の性急な感じや単音使いのギターはAt The Drive-Inを思わせ、特にM10とM11の切迫感溢れるメロディや、アンサンブルと言うよりも各々好き勝手に突進するようなツイン・ギターは「Relationship Of Command」のようだ。
M6では疾走感のあるメロディと何処か拙いコーラスが初期のR.E.M.を思い起こさせもする。

徹頭徹尾どの曲も何処かで聴いたことのあるようなものばかりでオリジナリティの欠片も無いが、代わりに最初から最後まで駄曲は一曲足りとて無い。
2021年の作品とは俄かに信じ難い程に旧態依然としているが、自分の愛したパンク・ミュージックの要素の殆ど全てが詰まっているようで否定し難い、と言うか寧ろ積極的に大好きだ。
退行的なのは間違いないが、自嘲しながら古い友人達に勧めたくなるようなアルバム。
大人ぶってWeezerの新作に関心している場合では全くなかった。

Lil Uzi Vert / Eternal Atake

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冒頭のチージーなシンセ・リフ主体のバックトラックは退屈で、メロディを歌うラップのスタイルには流石にもううんざりとさせられるが、それでもしっかりとした抑揚がありこれだけファストなフロウというのはそれなりに凄味もあるし、FutureやYoung Thugの二番煎じのような気もするがラガ風の訛りも一応個性にはなっている。

M3以降のトラックはアブストラクトになり、M5の銃声のループは昔ながらのギャングスタ・ラップのそれというよりも、近未来風のSEと相俟って何処かSFっぽい。
(ジャケットのイメージと言い、宇宙を舞台にしたストーリーテリングでもあるのだろうか?)
ミドルスクール感のあるM6のシンプリシティにはDenzel Curry「Zuu」に通じるものもある。

中盤のM7、M8ではエレクトロニック路線が続き、テクノ・ポップ風のアルペジエイターやオートチューンのヴォーカル・チョップはバブルガム・ベースと共振するようで、Vince Staples「Big Fish Theory」を思い起こさせるが、その手のものにしてはラップのアクセントがアップビートに置かれているのが新鮮と言えば新鮮な気もする。

アルバム後半は叙情的なアンビエント調で占められており、メロウな歌唱は最早ヒップホップというよりオルタナR&Bに分類する方が適切な気がする程だ。
些かメロディ過多でやや鬱陶しいがキャッチーさは申し分無く、エモラップのタグを警戒して聴いた割には殊更抑鬱的な感じが無い分何と無く聴けてしまう。

Nicolas Jaar / Cenizas

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第一印象はとにかく地味。
一定のリズムにメロディと歌があり、一応ポップ・ソングの形態を纏っているが、折衷主義は少なくとも表面上は抑制され、ポスト・クラシカルに接近したような印象を受ける。
鍵盤楽器を中心としたコンポジションもあり、ムードとしては坂本龍一「Async」に近いだろうか。
或いは例えばTarwaterかMatthew Herbertの本人名義をもっとメランコリックでゴシックにして、ポップネスを薄めたような印象で、そのメランコリアはFKA Twigs「Magdalene」に通じる。
同一人物が作っているのだから当たり前ではあるが、特にM9は「Magdalene」の導入部を思い起こさせる。

当時は特段そんな印象は受けなかったが、本作と較べると「Space Is Only Noise」が随分とユーモラスに聴こえてくる。
このシリアスさは一体どうした事か。
それなりにビートに存在感があるM13等は未だ過去作との連続性を辛うじて残しているけれど、最早ハウスでは全くない。
少なくとも過去の作品にも増してクラブ・ミュージックとの接点は見出せない。

表面的なメロディやリズムと、それらを構成する音色にも新奇性は希薄で、本作の肝要はそれとは別のところある。
例えばM5の転げ回る甲高い打撃音、M10のサックスの咆哮はフリー・ジャズのようでいて、一方で時折(常時ではないのが肝)人力では絶対に再現不可能と思われる推移を見せる。
生音を加工して生成されたものだろうとは思うが、一般的な波形編集による電子音響とは趣を異にしており、一体どのようなプロセスで作られているのか仔細の想像が付かない。
まるで新種の楽器のエキシビションのようで、久々にそれこそFloating Points「Elaenia」以来の音響が主役の作品だ。
ポップ・ソングとしての体裁や全編を覆うメランコリーがギミックにすら思える。

M13は一見普通のドラム演奏のようだが、その複雑なパターンもまた人力では再現不可能に思え、生音を分解してビート・プログラミングする手法はそれこそ腐る程そこら辺に転がっているがここまでさりげない例は他に思い付かない。
(そしてその違和感が何処から生じるのかも特定出来ない。)
一見普通そうだが視点を変えてみる事で生じる違和感は、奇妙なジャケットにも表象されているように思え、その辺りに本作の狙いがあるのかも知れない。

Slowthai / Tyron

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想像を遥かに超えるスピードで過去のものとなったダブステップに較べて、グライムは実にしぶとく生き残り、見事に世代交代を果たしたものだと思う。
現在のスターダムの筆頭は勿論StormzyとSteptaだろうが、実はWileyやDizzee Rascalオリジネーター世代との繋ぎ役で、本格的なゴールデン・エイジは寧ろ正にこれから到来するのではないかという予感もあり、このSlowthaiは確実にその主役候補の一人だろう。

とは言え狭義のグライムの枠は逸脱しており、荒涼としたアブストラクトなループとトラップ風のハットといった要素よりも、強靭なサブベースとアタック強めのキックが引っ張るDisc1は寧ろUKドリルとの共振を感じさせる。
冒頭のM1やM2なんかは、トラック自体はそこら辺のトラップと大差無いようにも思えるが、少しDanny Brownを彷彿とさせるフリーキーな声には充分に際立った個性がある。
(ついでに全くの蛇足だがFlea似のビジュアルも良い。)

Earl Sweatshirtにも近い、単なるファッションとしてのデプレッション以上の含蓄を感じさせるDisc1最後のM7を契機にして、アルバムはがらりと表情を変えてぐっとメロウになり、Disc2では冒頭のM1を始めソウルやジャズのサンプリングによる上物やヴォーカル物のコーラスがトラックを引っ張る展開となる。
D2-M2のジャジーなピアノやD2-M4のフォーキーなギター等、アコースティックな音色とラップとの対比も鮮やかだ。

Mount KimbieとJames Blakeとのコラボレーションで話題になったM6は、朴訥としたリヴァービーなピアノとJames Blakeの相変わらず不気味なヴォーカルによるコーラスが幽玄なトラックだが、後半のほんの短い間にコード進行が変わって差し込まれる、仄かだがしかし確かに感動的な余韻を残す女声ヴォーカルのサンプルは本作のハイライトの一つだ。
前半のコントラストが後半の叙情を際立たせている感もあり、期待を裏切らない充実作だと言えるだろう。

Headie One / Edna

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何処か未熟さを残したJay-Zみたいな声色自体は、例えばSlowthaiなんかと較べてしまうと魅力に乏しいし、余りラップが巧いとも思えない。
最近ではHeadie Oneに限った話ではないが、特にアルバム前半に顕著な歌うようなメロディアスなラップはもう流石に食傷気味で、加えてバックトラックもベースラインもメロディ過多で若干鬱陶しささえ覚える。

前半のバックトラックは良くあるゴシックでメランコリックなアンビエント風が大半で大して面白味は無いが、ヒューストン産のトラップと比較すればサブベースがリズミックで聴き飽きない。
流石はダンス・カルチャーの国が産んだヒップホップの最新形、と言う程目新しい要素がある訳ではないものの、とりあえずトラップとグライムの合いの子みたいなサウンドだと言ってみる事は出来るだろう。

Slowthai「Tyron」同様にアルバムは折り返し辺りでぐっとメロウネスを増していく。
サブベースは引き続き存在感を保っているものの、UKドリル的なサウンドシグネチャは希薄になり、ピアノとR&B的な女声ヴォーカルがリリカルなムードを醸出するM20等は、Kano「Hoodies All Summer」を思い起こさせたりもする。

M17等はWiley「See Clear Now」を彷彿させ、メロウなポップス路線もまたグライムの伝統の一部である事を思い出すが、それ一辺倒という訳でもなく、ほぼサブベースのみが歌うM15や、レイドバックした上物とエレクトロニカ張りの忙しないハットの対比が面白いM16等、引き出しの多さがUK産の良いところだったと再認識させられる。