Robert Plant / Alison Krauss / Raise The Roof

流石にLed Zeppelinに於けるハイトーンのヴォーカリゼーションとは懸け離れているが、それでもRobert Plantの歌声の70歳とはとても思えない若々しさには驚かされる。
元々Led Zeppelinで最も苦手だったのがあのヴォーカルだっただけに、落ち着いた歌唱には寧ろ好感すら覚えるし、女声ヴォーカルとの相性もとても良い。

サウンドのスタイルとしては如何にもRobert Plantが好きそうなアーシーなブルーズ・ロックやフォーク/カントリー・ロック(それは言わずもがなLed Zeppelinサウンドを構成する主要な要素でもある)で、全く一切何にも面白くない。
こうなる事は予想が付いた筈なのにどうして購入してしまったのだろうかと後悔の念が押し寄せる。

当然新しい何か求めていた訳ではないにせよ、僅かに自分の嗜好が拡張されるのではないかという期待は確かにあった。
Bob Dylan「Rough And Rowdy Ways」やPaul McCartney「McCartney III」、Marianne Faithfull「Negative Capability」等で同じ失敗をしているというのに、全く己の学習能力の無さ加減には辟易とする。
解ってはいたが萎びた音楽が本質的に好きではないのを改めて実感する。

一方でとは言え不思議と嫌悪感がまるで湧いてこないのは、シンガー同士のコラボレーションだけあって歌が中心には違いないが、器楽演奏も決して蔑ろにはされておらず、細部までしっかりとクリアに聴かせる丁寧なミキシングのお陰かも知れない。
Bob Dylanはともかくとして、先に挙げた作品に感じた「俺 (私)が歌ってさえいれば何だって良いのだろう?」とでも言わんばかりの傲慢さ(流石に穿ち過ぎだとは思うが)は微塵も感じられず、詰まらないなりにも誠実に作られた作品ではあると思う。

Beach House / Once Twice Melody

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アコースティック・ギターアルペジオとストリングス、オーバーダブによるハーモニー等が一体となってラウンジ感を醸出するM1は猛烈にAirに酷似していて乗っけから驚かされる。
特にストリングスの導入はアルバム全体を通じてシネマティックなムードを齎す上で重要な役割を果たしているように感じられる。

続くM2はMy Bloody Valentineからディストーションを抜いたかのようで、良くNicoを引合に出されるVictoria Legrandの中性的な声質には、一人でKevin ShieldsとBilinda Butcherのデュエットを再現しているような質感があり、改めてこの特異な声がこのバンドの大きなストロング・ポイントの一つである事に気付かされる。

これまで同様にサイケデリックではあるが、憑き物の取れたかのように穏やかで牧歌的とも言えるユーフォリックなメロディが目立つのも本作の特徴で、脈打つシンセ・ベースが少しインダストリアル風でゴスっぽくもあるD2-M4等の例外も僅かにあるものの、前作に漂っていたある種の不穏さやミスティックさは希薄になっている。

2枚組で4つのパートに分かれているコンセプト・アルバムの形態を採っているが、少なくともサウンドの面での各パート毎の変化は乏しく流石に冗長な感は否めない。
それでも何となく頭から最後まで聴き通せてしまうのはソング・ライティング力の成せる技だろう。
もう少しコンパクトに纏っていればもう少し印象も違ったのではないかとは思うが、捨て曲が無いのも確かで、ついつい詰め込みたくなる作り手の気持ちも理解は出来る。

Charli XCX / Crash

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バブルガム・ベースの「ベース」の部分の要素は限りなく希薄になり、最早正真正銘のバブルガム・ポップ。
特にM4等は益々とPerfumeに近付いていくかのようだ。
中には寧ろEDMと呼んだ方がしっくりと来そうなトラックも多く、Charli XCXに関して今更セルアウトも糞も無いだろうとは思うものの居心地の悪さは半端ではない。

SkreamやMagnetic Manを思い出すようなM5の2ステップ/UK ガラージのビートとレイヴィなシンセ・リフ、ハーフ・ステップのダブステップかピッチを落としたドラムンベース風のM6、00年代のエレクトロみたいなM3やM11に名残はあるものの、極端にコンプレッサーで歪んだベース音は無く、全体的にノイジーな要素はほぼ皆無と言って良い。

オープニングのM1に於けるいなたいギター使いは紛れもなくA. G. Cookのものだが、その関与度は大幅に減っているようで、「Charli」やA. G. Cook自身のソロ作を退屈にしていた冗長なバラード(例のシュールなギャグのような「アコースティック・EDM」というやつ) が殆ど無くなった点では好印象を受ける。
ストロング・ポイントが減退した替わりにウィーク・ポイントも無くなって相殺され、平凡だけれども否定し難いポップネスだけが際立った、という感じ。

同曲やニュー・ウェイヴィなM8のゲート・リヴァーブ風のドラムの鳴りからは、Janet Jacksonやニュー・ジャック・スウィングがインスパイア元だというのも成程という感じ。 
Mitskiに続いてThe Weeknd「Dawn FM」と共振するものがあるなと思ったら、M9にはDaniel Lopatinが関与していてちょっと吃驚した。
そう言えばジャケットは「After Hours」と被っているし、一体今英米のポップ・シーンでは何が起こっているのだろうか。

Raveena / Asha’s Awakening

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レイドバックしたレゲトン風のM1や、マリンバの音色が気怠くドリーミーなムードを醸出するM3等は、Kali Uchisに非常に近いものを感じさせる。
コロンビア出身のKali Uchisの場合はカリブ海の音楽がその基盤になっていたが、ここではシタールやタブラといった、Raveenaのルーツであるインド音楽の要素がアイデンティティとなっており、またしてもエイジアン・ポップの波を感じさせる。

とは言えそれらの音色は装飾の範疇を出るものではないし、如何にもボリウッドといった感じのこれ見よがしで色物的なものではまるでない。
あくまでコンテンポラリーR&Bとしての体裁を保っており、M7等はLauryn Hillを彷彿とさせる直球のネオ・ソウルと言って差し支えない。

アルバムは後半に進むに連れてレイドバック具合を深めていき、シタールとハープ、パーカッション類が作り出す幽玄で浮遊感のある音像と、微睡むようなヴォーカルとが良くフィットしたM10に至っては極楽浄土の蓮の葉の上で歌っているかのよう。
この言うなればメディテーティヴR&Bとでも呼びたくなるサウンドにこそ、このシンガーの独自性があるのだろう。

極め付けは13分に渡りLaraajiみたいな、これぞメディテーション用といった感じのアンビエント/ニュー・エイジが展開されるM15で、メジャー配給のコンテンポラリーR&Bとしては偉く攻めたものだと感じるものの、如何せん鳥の囀り等の音自体が極めて在り来たりで詰まらないので差引ゼロと言ったところ。

Jpegmafia / LP!

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SEの多さやサイケデリックでドラッギーな音像はEarl Sweatshirt「Some Rap Songs」に通じるが、もっとファンクネスもメロウネスもあって要するに至極ポップ。
声質こそやや没個性だが、割とオールドスクールなスタイルのラップのフロウはタイトでリズミックなフックに富んでいて快楽指数は高い。

表面的なサウンドは全然違うが、2000年代初頭に夢中になって聴いたアンダーグラウンド・ヒップホップ、例えばCompany Flow〜Definitive Jux周辺やAnticonに近い感覚がある。
それはつまりエクスペリメンタルではあってもアンチ・ポップではない(その名に反してAntipop Consortiumだってポップだった)という事だ。

トラップの要素は希薄で、少しミドルスクール風のM9を始めとしてファットなブレイクビーツの存在感が際立っており、荒削りではあるが例えばM10のメロウネスにもTyler, The Creatorに通じるものを感じないでもない。
クラウド・ラップやトラップを通過した後の、そのカウンターとしてのブレイクビーツ復権を感じさせるという意味でやはりBrockhamptonと共振しているように思えるし、オルタナティヴな存在感という点ではDanny Brownと重なる部分もある。

一方M1の乱反射するシンセのアルペジエイターやM17の高速で刻まれるリムショット等の要素は00年代初頭のエレクトロニカグリッチ・ホップを思い起こさせる。
かと思えばエモ風のギター・サンプルがいなたさを逆手に取ったかのようなM4(こういうトラックはAntipop Consortiumにも確かにあった)のようなトラックもあり多様性に富んでいる。
けれども寄せ集め感は皆無で確かにアルバム全体に通底するセンスを感じさせ、Tyler, The CreatorやEarl Sweatshirtと同様に自らトラック・メイカーを兼ねるラッパーはやはり強いと思わされる。

FKA Twigs / Caprisongs

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感情を持たないミスティックな人形のようだったFKA Twigsが喜怒哀楽を獲得して人間になった、そんな妄想を掻き立てるミックス・テープ。
そしてそれは確かにArcaの足取と重なるものでもある。
正確には無かったのはメランコリア以外のエモーションと言うべきだろうが、ここには驚くべき事にJOYもFUNもある。

その印象を強固にしているのは、特にこれまでのFKA Twigsには希薄だったリズミックな要素だろう。
Pa Salieuを迎えたグライミーなM2を始めとして、全編を通じてレゲトンダンスホールのビートやUKドリルの踊るサブベースを援用して、少し儚さを湛えたM.I.A.といった趣きの新たな魅力を獲得している。

「正直死にたかった」というM17のセンセーショナルなリリックを殊更大きく取り上げたくはないが、確かに生の力強さがあり、背負っているものの大きさは違うかも知れないがBeyoncé「Lemonade」と同質の感動を呼び起こす。
盟友Arcaによるトラックがいつもよりも優しく寄り添うように感じられるのも胸に迫るものがある。

更にはFKA Twigs自身以外の声、特にShygirlやJorja Smithを始めとした女声の存在は殊の外重要に思える。
それはFKA Twigs、と言うよりもTahliah Debrett Barnettというジャケットに写る34歳の普通にお洒落な女性が決して一人ではない事を強調しているようで、孤独を感じさせた過去作に対して本作に他者に開かれた印象を齎している。
何せ曲間に配されたスキットでの彼女は声を上げて笑ってすらいるのだ。
この変化はアーティストとしてのキャリアに於いて非常に重要なものだろうと思うが故に、決してミックス・テープである事を言い訳して無かった事にはして欲しくない。
老婆心だが彼女にはいつの日心底ハッピーな作品を作って欲しいものだと思う。

Mitski / Laurel Hell

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The Weeknd「Dawn FM」に引き続き、2022年になっても相変わらず80年代は終わる気配を見せない。
(勿論90年代だって同じだが。)
M6の直線的なベース・ラインとオールドスクールなシンセはA-haなんかを彷彿とさせるし、M7はまるきりNew OrderでM11もディスコティック。

Beach Houseのようなシューゲイズの要素を含んだドリーム・ポップもあるし、M2の微かなゴスっぽさはSharon Van Etten「Remind Me Tomorrow」にも通じるが、全体的にはピアノやシンセの比重が高くなり、ギターの存在感は相対的に減退した感がある。
別に元々ギターだけが特別なシグネチャという訳でもなかったとは思うし、程度の問題ではあるけれど、ロックからよりポップ寄りのサウンドへの大胆な変化という面ではSt. Vincent「Masseduction」を思い起こさせたりもする。

M9はJulia Holter「Everytime Boots」を彷彿とさせるが、その明け透けなポップ感はJapanese Breakfastにも通じる。
ポップ・フィールドでのエイジアンの活躍という点ではBTSなんかとも繋がっているのだろうと思う。
構造としてはクィアが席巻した10年代に引き続き、ポップ・ミュージック界をダイバーシティの波が覆っているという事なのだろう。

目新しさは何処にも無いが、平たく言っても佳曲だらけであるのは間違い無く、キャッチーでありながらもなかなかに入り組んだメロディには関心させられるし、表面的なサウンドの主軸となる音色が変わってもぶれないソング・ライティングの強度がある。
落ち着いた感じの歌唱も魅力的で、本来シンガー・ソングライターというのはこういう人を指す為にある言葉なのだろうと思う。