Danny Brown / Atrocity Exhibition

何を置いても先ずは狂気を感じさせる、或いは演じているような上擦った声に意識は向かう。
それはリミッターを振り切ったSchoolboy Qのよう、若しくはラリったAd-Rockのようでもある。
Kendrick LamarやAb-Soulがゲストに招かれて、Schoolboy Qが呼ばれてないのは声質のキャラクターが被るからだろうと思ったら、M9のバックヴォーカルで参加しているらしいが、ともかくSchoolboy Qに輪を掛けて露悪的なそのラップはまたKohhの軽薄極まりないラップを連想させるが故に、トラップの要素が皆無なのが不自然なほど。

メジャーなヒップホップに於いても変則的なビートは今更珍しくもないが、それにしてもこれほどヒップホップのフォーミュラを外れたビートで占められた作品も稀で、Guru GuruをサンプリングしたM1に始まり、ブレイクを除いて全くスネアが打ち鳴らされないM9やM14等、エキセントリックなビートが目白押し。
パーカッションや各種ベル、ゴング類にギロ等の装飾的なリズム打楽器の多彩な音色によって、サブベースで補強されたファットなキックにタイトなスネアと言った典型的なヒップホップのビートを構成する要素は相対化されている。
M13では最早キックと言うよりタムと呼ぶ方が適切ほど弱体化したハイピッチのイーブン・キックが激しい動悸を連想させるし、J Dillaが、Questloveが呼ぶところの「ドランクン・ビート」でスネアやハットをリズムの主軸から微妙にずらしたのとはまた違った、言わば「トリッピン・ビート」とでも呼べそうな、巧妙にピッチを狂わせたビートが不安定さを醸し出しており、ライムのみならず、トラック自体に於いても直接的にドラッグの効用が表現されている。
そのボトムの軽さはストリートを闊歩する従来のヒップホップ・ビートに対して、まるでFishmans「空中キャンプ」のジャケットの如く数センチばかり宙に浮いた所で酩酊しているかのようだ。
尤もFishmansが「風邪薬にやられ」ていたのとは対照的に、その浮力となっているのは非合法の劇薬なのだが。

典型的なヒップホップ・ビートのクリシェを解体する様に加えて、壊れたブラスが疾走するジャズ・ファンククラウトロックの合いの子のようなM6や、Sly Mongooseをバックに従えたようなM10等のアッパーに振り切れたトラックや、「Downward Spiral」「Atrocity Exhibition」といったタイトルから漂う何処かロック的なセンスからは、幾ら使い古された形容であろうとやはり「オルタナ・ヒップホップ」という表現しか思いつかず、これほどイルな感覚は90's末のCompany Flow以来かも知れないと思うと、Warpからのリリースも含めてヒップホップも遠くまで来たものだと感慨深くなる。
事実、アルバム中最もオーソドックスなヒップホップ・トラックと言える90'sライクなポッセカット・スタイルのマイクリレーが聴けるM4(このドープを絵に描いたようなトラックに乗るKendrick Lamarのタイトなフロウは頗る格好良い)や、The Alchemist作のM8等は猛烈にCompany Flowをフラッシュバックさせる。

最近ではDanny Brownに限った話でもないが、M12やM13等の短いフロウを積み上げるファスト・ラップにはグライムMCを思わせる部分もあり、デビュー前はXLと契約したかったと言う背景にはWileyやDizzy Rascalの影響があったのかも知れないと想像させる。
スキニーなファッションが原因で50 Centのレーベルから契約を断られたというエピソードが示すように、確かにUSラッパーのステレオタイプからは懸け離れた、多様なバックグラウンドを感じさせる存在で、ここ数年のヒップホップの中では飛び抜けて刺激的ではあるものの、ブラック・コンシャスネスに覆われた昨今ですっかり耳がオーセンシティを求めてしまっているらしく、今一つ興奮を覚えるには至らず…。
2017年こそは革新性とポップネスの平衡感覚を取り戻してくれるようなリリースに出会いたいものだ。