(Sandy) Alex G / House Of Sugar

f:id:mr870k:20191223012040j:plain

今や当たり前過ぎて言及される事も殆ど無い、宅録という言葉を久々に思い出す。
最早自宅どころか、MadlibやSteve LacyのようにiPadスマートフォンで楽曲が制作される時代に於けるその宅録感とはつまり、メソッド云々というよりもその音楽の醸出する孤独でパーソナルな感覚とほぼイコールであるという意味で、1つの楽曲を幾人ものプロデューサーがシェアして作り上げる現代のメジャーなR&B /ヒップホップとは真逆のプロダクションだと言えるかも知れない。

先ずM1冒頭の奇妙な歌声の不明瞭なヴォーカルで想起したのはWhy?だが、M2以降のプレーンな歌声、或いはM3のメロディ・センスはSean Lennonを彷彿とさせる。
(時折聴かれる女声のようなコーラスは恐らく自身の声を変調させたものだろう。)
或いはアコースティック・ギターをファズ・ギターの如く掻き鳴らしシューゲイズ風に仕立てたナンバーは、My Bloody Valentineの強い影響を受けたAdam Pierceの初期作品集をフラッシュバックさせる。

マイナー・セブンス系のセンチメンタルなギター・コードをコンポジションの基盤にして、矢継ぎ早に繰り出されるグッド・メロディの数々はダイレクトに胸に突き刺さる。
良く言えばタイムレスで悪く言えば退行的だが、90’s育ちには否定し難い魅力を備えているのも確かで、古い友人達に聴かせたくなるような音楽である。

基本はインディ・ロックの範疇にあるが、M7のようにエレクトロニカの影響が明白なインストもあり、かと言ってAutechreみたいなグリッチではなく、ドラムマシンのシンプルで重いキックドラムは懐かしいSuzukiskiなんかを思わせる。
何が凄いという事も無いが、朴訥さが寧ろ好ましく感じられるという点はGold Pandaにも通じるもので、その手を延ばせば届くような、日常から発せられているようなフレンドリーさが今となっては稀有なものであるようにも感じられる。