Charli XCX / Charli

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ストレートで派手派手しいシンセの音色やアルペジエイターの多用といった特徴はHudson MohawkeやRustieの大仰でレイヴィーなサウンドを想起させ、単純化すれば懐かしいウォンキーとバブルガム・ポップの出会いと言えるだろうか。
或いはM2やM4等の2ステップにはSkreamやRusko等のダブステップがポップに振り切れた時期の所謂ブロステップと呼ばれたサウンドの遺伝子が受け継がれており、バブルガム・ベースとは良く言ったものだと思わされる(特にM10はRusko「Thunder」にそっくり)。

M5終盤の極端なコンプレッサーで潰れた強烈にノイジーなビート等からは、単なるティーンポップでは決してない事が判る一方で、M4のBritney Spearsの引用は決してジョークではなく、ストレートな憧憬を感じさせるもので、総じてチージーなのは間違いない。
M9やM11等のバラードは陳腐で退屈で蛇足に思うものの、M2後半のオートチューンで変調されたヴォーカル・チョップやM4のバウンシーなベース等は単純にエレクトロニックなダンス・ビートに飢えた耳に悦楽であるのも確か。

ポップ・フィールドへのベース・ミュージックの導入と言う点で連想するのはやはりVince Staples「Low Fish Theory」だが、本作にSophieはクレジットされておらず、PC Music創始者であるA.G.Cookが全面的にサポートしている。
Sophieの存在があればもう少しエクストリームなものを聴けたのではないかと思うと些か残念な出来ではある。

惜しくも幕を閉じたTiny Mix TapeやPitchforkといった欧米の音楽メディアが果たしてどのような文脈や論点でこの音楽を評価しているのか、正直なところ今一つピンと来ないのだが、それはもしかすると我々日本人が既に中田ヤスタカの仕事によって毒されている、もとい、耐性を得ているという事かも知れないと思ったりもする。