M1は喩えるならばインダストリアル版Asa-Chang & 巡礼?
M4はグライムと同時に、トライバルなチャントのようなヴォーカルがOOIOO「Armonico Hewa」を連想させる。
James Blake「Assume Form」にも参加していたネオ・フラメンコのスターRosaliaを迎えたM8は、寧ろエチオピアン・ポップスとレゲトンが出会ったかのような趣きで、Gang Gang Danceに通じるものもある。
エスニック/ワールド・ビート的なサウンドが本作の重要なインプットであるのは先ず疑いようがないが、実はビートの構造自体が大きく変わっている訳ではないようにも思え、もしかするとベネズエランとしてのアイデンティティは、そのキャリアの最初からビートに表象されていたのを聴き逃していたのかも知れないとも思わされる。
ともかくも音に隙間と緩急による強弱が生まれた事でビートの面白さがこれまでに比して圧倒的に解り易く提示されており、ノイズの存在も効果的になった。
飛躍的にサウンドは整理され、M2ではArca流チルウェイヴ/シンセポップも披露される等、コンポジションに於いてもArca史上群を抜いてポップな作品なのは確かだが、だからと言って一切セルアウトもしていない。
間違いなくArcaのブレイクスルーと呼ぶに相応しい内容で、悪趣味は相変わらずだがJesse Kandaの手を離れたジャケットもArcaの第二章を宣言するかのようだ。
それだけに「Utopia」をそのまま踏襲したかのようBjörkとのM6は完全に蛇足に思えるし、M5やM11で前作のメランコリック路線を捨て切れていないのもやや惜しい気がする。