Brian Eno / Foreverandevernomore

冒頭からDavid Sylvian張りの歌声にいきなり面食らわされる。
歳を取って自身の声を再発見したというような発言を何かで目にしたが、寧ろその声には張りがあり、思いの外若々しいのに驚く。
更には自身の声のみでは飽き足らず、2人の娘にも歌わせているのはBjörk「Fossora」と同調するようでもあるし、老いて声に興味が向かうというのは坂本龍一にも当て嵌まる。

尤も坂本龍一の場合は歌を重視するようになった訳では全くなく、死を意識する経験を経て、様々な器楽音や具象音と同列に一つの音としての声を再発見したという風に見受けられるが、一方でBrian Enoの場合は気候変動を中心した諸問題に対するメッセージ=意味を伝えるツールとして歌を援用している。
嘗て「聴く事も出来るし、無視する事も出来る音楽」を標榜した人とは思えないアプローチだが、それだけ状況は悲惨という事だろう。

明確なメロディがあり、驚くことに循環さえしているが、M9を除いてはそれがポップ・ソングのストラクチャと呼べる程のものとは思えないのは、単にメロディが詰まらないからだという気がしなくもない。
歌を軸に据えた作品であるのは間違いないが、特段そこに面白さがあるとは全く思えない。

寧ろ背景でひっそりと鳴るオールドスクールなシンセ音やSEの方が余程チャーミングで、一通り聴き終えた後の印象としてはThe Velvet Undergroundのオーセンティックなカバーなんかもあった「The Ship」よりも正統派なアンビエントかも知れないと思えたりもする。
それはつまり何も残らないという事に他ならないが、だからと言って何ら悪い事ではない。