前作にも増してその歌唱はKaren Carpenter節全開で、ここまで来ると流石に本人が意識していないとは思えない。
Lana Del Rey「Chemtrails Over The Country Club」への参加は驚きだったが、確かに然程距離は遠くない。
益々Jackie-O Motherfuckerからは遠く離れていく感があり、本作のリリース元が引き続きSub Popである事の方が余程違和感がある。
ピアノとアコースティック・ギターを基調に、ストリングスやハープ、アイコニックなチャイム等の音色で豪奢に装飾されたチェンバー/オーケストラル・ポップ/フォークは一聴する限りは至ってウェルメイドで、ポップには違いないが凡庸さからは程遠いメロディ・センスと相俟って、思わずBurt Bacharach等という名前を引合に出したくなる。
つまりそれは極めて上質なウェルメイドという事だ。
メロディは基本的にオプティミスティックで、時にユーフォリックとさえ表現したくなる程だが、その中に仄かな怖さや不穏さを漂わせている。
同じように巧妙だが、メランコリック一辺倒で、今一つフックには乏しいLana Del Reyのソングライティングとは何処か対照的にも思える。
表面的には耳当たりの良いポップスだが、M4では鳥の囀りが曲の進行と共にどんどんと過剰になっていき、終盤では最早殆どノイズと化したり、M9やM10ではエフェクターを弄り倒して生成されたようなストレンジなSE/ノイズが聴かれたりと、細部には流石は元Jackie-O Motherfuckerといった感じのエクスペリメンタルな要素も垣間見られる。
M7ではリズム・ボックスを用いて、レイドバック且つエキゾティックなシンセ・ポップを聴かせたり、M8では純然たるアンビエントを披露したりと、表現のスタイルに奥行きを感じさせ、Lana Del ReyとJulia Holterの間を埋めるような存在だと言ってみたい衝動に駆られる。