Isaiah Rashad / It's Been Awful

M2は明らかにOutkast「B.O.B」のオマージュだが、だからと言って殊更にダーティ・サウス・リヴァイヴァル的という訳でもなく、M6等は寧ろGファンク臭を漂わせている。
他にはSZAを迎えてのポップ・ラップ調のM4やジャズ・ヒップホップ風のM9、Mac Miller「Circles」にも通じるような静かにエモーショナルなM11があったりと、ビートも曲調もバラバラで統一感には欠ける。

特に2026年に入ってからASAP Rocky「Don't Be Dumb」や最近だとBaby Keem等、トラック毎のスタイルの多様化を感じさせる作品に出会う機会が増えた印象がある。
トラップ/ドリルやブーム・バップとか、イーストやウエストやサウスとか、コンシャスやハードコアやギャングスタだとかいったヒップホップの類型やフレームが融解して急速に無効化しつつあるように思える。

本作に関して言うと、Baby Keemほどポップに振り切っている訳ではないし、レイジ風のシンセ等も無く音色的にはオーガニックな質感で統一されている。
佳曲もそれなりにはあるのに今一つ肩入れ出来ないのは、統一感の無さが問題というよりも前半のオルタナティヴ・ヒップホップ的なヴァラエティと比べると中盤以降の平坦さや地味さの落差が大き過ぎて拍子抜けしているだけなのかも知れない。

何れにせよ1人のアーティストのアルバムを聴いているという感覚は希薄で、プレイリストを垂れ流しにしているのに近い感覚がある。
ラップの声質やフロウに多様なスタイルの楽曲を1つの世界観に繋ぎ止めるに足るだけの個性が無いというのが大きいのかも知れない。
アルバムを通底するストーリーテリングや統一されたトーンが無くてはならないという古い固定観念が試されているような気分にもなってくる。

The Lemon Twigs / Look For Your Mind!

流麗なハーモニーやジャングリーなギターが初期〜「Rubber Soul」以降の中期The Beatlesや初期のThe Who、そして何よりも90年代におけるその手のサウンドのリヴァイヴァリストの筆頭と言えるJellyfishを猛烈に連想させる。
要するにサイケデリック・ロックの要素を加えたパワー・ポップというタグ付けに何らの違和感も無いサウンドではある。

M8ではサーフ・ロックでThe Beach Boysを召喚したり、M11ではThe Temptations「My Girl」を大胆に引用したりもしているが、何れにしてもレトロ趣味極まれりといった感じ。
かと言ってレア・グルーヴ的に記号性を弄んでいるような感じも無く、寧ろ60sのロック/ポップスのカバー・バンドのようで、2026年の音楽を聴いている感覚はまるで無い。

ラストのM14はコーラスやリヴァース・ディレイによるドラッギーでカオティックな音響処理やノイズに飲み込まれて終わる展開等が殆ど唯一2000年代のネオサイケデリア(特にTame Impala)との連続性を感じさせる楽曲ではある。
と言ってもそれももう20年以上も前のトレンドであって、何らかカレント・ミュージックとしての示唆を与えてくれるようなものでもない。

過去の遺産の流用によって何か新しいものを生み出そうといった戦略性は微塵も感じられず、その時代への憧憬のみを燃料として成立しているような音楽で、ここまで行くとある種のシニシズムすら感じさせる。
普段ならばここで、だったらオリジナル、つまりは60年代のThe BeatlesやThe WhoやThe Beach Boysのアルバムを聴けば良いという結論で話は終わりなのだが、それにしては楽曲のクオリティは高く、特にメロディには一笑に伏して無視するのが憚られる魅力があるのも確か。

Jessie Ware / Superbloom

ジャケットやプレリュードに意識が引っ張られている感は否めないが、前2作のディスコ路線を引き継ぎつつもより豪奢でソフィスティケートされた印象を受ける。
ピアノやストリングス等の器楽音が一層中心に据えられ、ビートも生のドラムとベースが基軸を担っている。
ディスコと言ってもユーロ・ディスコよりの70s中盤のフィリー・ソウル寄りと言って良いかも知れない。

と言ってもそれは実際には前半に限った印象で、中盤以降はM9やM10等シンセ・ベースが引っ張るハウス色の強い楽曲も増えてくる。
M3の大仰なクワイアやパーカッシヴなドラム・ブレイク、M7やM12のアーシーで力強く祝祭的なファンクにはSaultやMichael Kiwanukaにも通じるレア・グルーヴ感が漂っており、決して一面的な作品という訳でもない。

それにしてもアルバム全体としては荘厳なイメージがあり、大仰なコーラスやストリングスを多用した重厚なサウンドも然ることながら、Jessie Wareのヴォーカルが発する異様なまでの貫禄がその源泉になっているように思える。
楽曲によっては最早Donna SummerどころかDiana Rossかというくらいの歌い上げっぷりでオーセンティックな印象を強固なものにしている。

前2作に比べるとインパクトや爆発力の面では確かにやや劣るかも知れないが、洗練と高揚の配合の丁度良いバランスがJessie Wareのアーティストとしての成熟や安定感を感じさせ、最早インディ臭は雲散霧消して確実にポップ・アルバムとしてスケール・アップを果たしている。
M11みたいなど直球のバラードを躊躇無く披露出来るのもある種の自信の顕れのように思え、ポップ・スターとして1つ上のステージに昇った印象がある。

Aldous Harding / Train On The Island

Cate Le BonやJenny Hval、Juana MolinaやLucrecia Daltといった一癖ある女流音楽家達に通じるようなストレンジ・ポップ/フォークが展開されているが、それらの錚々たる名前に輪を掛けてアーティさやスノビッシュな感じは希薄で、特に素晴らしく独創的でフックに富んだメロディによって稀有なフレンドリーさを獲得しているように思われる。

実験音楽起点のポストロックと言うよりも質感はポストパンク的で、例えばDry Cleaningなんかに通じるミニマリズムも感じさせる。
一方でアコースティック・ギターやアナログ風のシンセのテクスチャや変拍子の多用等がRadioheadやThe Smileを連想させる瞬間もあったりして、M8なんかには正にやや大人し目の「The National Anthem」といった感じがある。

先に挙げたアーティスト達と何が違うのかと言うと、やはり歌や楽曲そのものの強度や魅力に尽きるという気がする。
勿論ストレンジな要素は沢山あるのだが、ソングライティングそのものも決して蔑ろにされていないと言うか。
(Cate Le BonやJenny Hvalが歌を蔑ろにしていると言いたい訳では決してなく、あくまで程度の話ではあるのだが。)

アコースティック・ギターやピアノによるソングライティング、つまりはフォーク・シンガーとしての核が先ず先にあり、ユニークなアレンジや音響処理はその次という感じがする。
ギター一本やピアノのみの弾き語りでも充分に聴き応えがありそう、という意味でJoni Mitchellの系譜というのが一番しっくりと来る説明かも知れない。

Arlo Parks / Ambiguous Desire

 「Collapsed In Sunbeams」の柔らかい質感の素朴でレトロなソウル/ポップ感は後退し、M1のブーストの効いたベースラインやM12のアンニュイなブレイクビートから、代わってトリップ・ホップを採り入れたインディ・ポップに接近した印象を受ける。
或いはFKA Twigsへの憧れが滲み出たかのよう、と言うのは流石に偏見が過ぎるだろうか。

ドラムの音色自体は生の質感を残しているが、アップリフティングなダンス・ポップ風も多く、ピッチダウンしたドラムンベースのビートから後半でイーヴン・キックのハウスに推移するM2と言い、M3の2ステップのガラージやM12後半のジャングル風と言い、ビート・パターンはUKベース・ミュージックから影響の色濃く感じられる。

ソウル、ポップスとUKガラージ〜ベース・ミュージックの交錯点上に位置するような作品という点で、M4におけるSamphaの関与は至極納得が行くし、最近の作品で言えばArlo Parksにとってはロール・モデルの1人と言えるであろうLily Allenの近作におけるダンス寄りの楽曲(Leon Vynehallが関わった「Ruminating」等)と共振するような感覚がある。

この変化にはArlo Parks自身の旺盛なナイトライフの経験が反映されているらしく、そう聞くとジャケットからして「Collapsed In Sunbeams」の日の当たる部屋でのポートレートとは実に対照的に思えてくるし、「Nightswimming」なんて曲タイトルも正に現在の彼女の嗜好を反映していると言えるだろう。
至極勝手なイメージで恐縮だが、真面目で健全だった子が夜遊びに嵌ったみたいな妄想を呼び覚まして、思わずほくそ笑んでしまう。

Underscores / U

Oklouよりもずっと音のアタックが強くファスト且つアグレッシヴだが、少なくとも単なるダンス・ポップの一言で片付けるのが憚られるという点で、ベクトルは違えど「Choke Enough」と同じくハイパーポップの成熟を感じさせる作品ではある。
Oklouの革新がテンポと音響の操作によるアトモスフィアに関するものだったとするならば、Underscoresのそれは主にサウンド/ソング・ストラクチャやアレンジメントに軸足があるように思える。

アルペジエイターやウォブル・ベース、スーパーソー系のシンセ等々のEDM〜ハイパーポップを特徴付ける音色が満載だが、ワン・アイデアで音色の強度のみで押し切るような感じは皆無で、トラック内のパーツ・パーツで適切な音色やエフェクトを丁寧に取捨選択する事で如何にもなハイパーな音色を用いながらも豊潤な音楽性を獲得する事に成功している。

メロディこそやや凡庸な気がしなくもないが、楽曲の展開やアレンジは実に手が込んでいて、単純にポップスとしての完成度が高い印象を受ける。
アコースティック・ギターを使用した楽曲も散見されるが、A. G. Cookが「Apple」やCharli XCX「Charli」で目指したのはひょっとするとこんなサウンドだったのかも知れないと思わされたりもする。

洗練や完成度とは何の関係も無いのだが、本作のサウンド - 例えばM2の高速で激しく明滅或いは痙攣するようなベースだったり、M4のシンセ・ストリングスが奏でる勇壮なメロディのセンス等 - からは何故だが猛烈にSquarepusherがフラッシュバックする。
Underscoresが直接的な影響を受けているかどうかは定かではないが、思い返してみるとレイヴ/クラブ・カルチャーの文脈にエクストリーミティを持ち込んだ先例の一つがドリルンベースだったと考えれば、意外にハイパーポップの祖先の少なくとも一系統として、そのオリジネイターであるSquarepusherの存在があったとしても然程不自然ではないように思える。

Robyn / Sexistential

DJやトラック・メイカーに従属するハウス・ミュージックの匿名的なディーバではなく、エレクトロニック・ダンス・ミュージックをポップ・スターの側から剽窃した存在という意味で、Kylie Minogueがダンス・ポップ、延いては現在のハイパーポップへと至る系譜の表側のゴッド・マザーだとしたら、もっと耳障りで猥雑で挑発的なRobynにはその裏の存在といったイメージがある。

ここ数年でJamie XXやCharli XCXとの共演で確実にリヴァイヴァルを果たした感のあったRobynが満を持してYoungからアルバムをリリースするとなれば、当然現代的なダンス・ポップ/ハイパーポップとの関連性を探してしまうのも無理からぬ事だが、これがまた絶妙な塩梅の距離感を保っている。
勿論エレクトロポップの範疇ではあるし、M1のノイジーなエレクトロ・ハウスなんかを始めとして音色的にも決して遠い訳ではないが、スーパーソー系のシンセとかコンプレッサーで拉げたベースとかいったEDM由来の音色は皆無で、かと言ってレトロなハウス/ディスコ・リヴァイヴァルに与するような意匠も全く登場しない。

一方でM3のエレクトロ・ファンクは朴訥としたオールドスクールなシンセ・ベースのシーケンスからKraftwerkのアップデートといった感じを受けたりもするし、The Weeknd「Blinding Lights」に通じるような80sニュー・ウェイヴのM4があったりもして、モダンなのだかレトロなのだか一概には判断し切れない中庸さが却って我が道を行く感じで独特の存在感を生んでいる。

白眉はM7のゲットー・ハウス風で、キックの音圧は遥かに強いが隙間の多いミニマルな構成が生むスクエアなリズムが微かにクリック/マイクロ・ハウス(特にハウスのカリカチュアみたいだった初期のThe Soft Pink Truth)を思い出させる。
洒脱なビートの上をオンビートで流れるような、Doja Catなんかに通じなくもないフロウのラップの快楽指数も高く、ベテランの底力を感じさせる作品ではある。