Loraine James / Detached From The Rest Of You

微細に断片化された音色で複雑に構築されたM1やM2は正にグリッチ・ホップのお手本のようで、Prefuse 73と言うかScott HerrenのDelarosa & Asora名義のトラックにそっくり。
M3の手作り感のあるデジタル・ディレイは猛烈にRei Harakamiをフラッシュバックさせるし、ボトムを潜行するようなベースとクリック・ノイズがPoleのミニマル・ダブに通じる感覚もある。

ほぼ全曲でヴォーカルや声がフィーチャーされており、単なるエレクトロニカ・リヴァイヴァルではない、と言いたいところなのだが、仮に本作を持って2000年にタイム・スリップしたとしても何らの違和感無く受け入れられるだろうという意味で、決して抜本的に新しい何か提示をするような作品ではない。
勿論それは本作の価値を陥れるものではなく、2000年代以降のエレクトロニック・ミュージックのどの作品を今聴いても懐かしいという感覚が一切沸き起こらない事と表裏一体ではあるだろう。

個人的には本当に久方振りに羽鳥美保の歌声が聴けるのは(と言ってもスポークン・ワードかハミング程度のアブストラクトなもので、本領と言えるファンキーな歌唱ではないものの)嬉しいサプライズで、Loraine Jamesが日本のエレクトロニカやポストロック通だというのは認識していたが、まさかCibo Mattoまで射程に入れているとは思いも寄らなかった。

トラック自体の複雑性が無くなった訳では全くないが、メロディもリズムも明瞭で前作「Gentle Confrontation」に較べるとぐっとポップになり、多少なりとも「Reflection」への揺り戻しも感じさせる。
但し羽鳥美保に限らず歌/声の存在はどれも実にアブストラクトで歌物という感じは一切せず、ポップネスに寄与しているとは思えない。
歌は全く無関係とは言わないまでも、付かず離れず煙のようにトラックの周縁を漂っているようなイメージを喚起させ、歌が寧ろ楽曲の抽象性を高める方向に働いているような在り方はM8にも参加しているTirzahの作風に非常に近いものを感じる。

My New Band Believe / My New Band Believe

流暢なフィンガー・ピッキングのアコースティック・ギターの音色やジェントリーなヴォーカルはVampire Weekendを、大仰なストリングスや忙しなく場面が切り替わるミュージカル的な展開は初期のDirty Projectorsを連想させる。
ストリングスやピアノ等のクラシカルな音色の存在感と牧歌的なメロディ、エレガンスとフリークネスの拮抗はBC,NR「Forever Howlong」に通じる。

多彩な楽器がキャラクター豊かな登場人物のように奔放・快活に動き回る様はまるで古いディズニー映画か何かの伴奏のよう。 
ダイナミズムとフリーキーさが目立ったBlack Midiに較べても一層細部に耳を凝らすのが愉しい音楽で、これもアコースティックならではと考えるとやはりCarolineのメンバーの貢献は相当なものなのだろうと思わされる。

但し単純に洗練されたチェンバー・ポップといった類のサウンドでは全くなく、ディストーションは一切用いられていないものの、変拍子の多用や唐突で破天荒な展開等が齎すカオティックさは完全にBlack Midiを踏襲している。
Black Midiからの連続性を強く感じさせるという点はGeordie Greepのソロ・アルバムとも共通している。

と言っても決してCameron PictonとGeordie Greepの作家性が均質だと言いたい訳では全くない。
寧ろ全く異なる且つ極めて個性的な才能が一切薄まる事なくごった煮状態で成立していたBlack Midiというバンドが、一時期とは言え存在したという事実が実に奇跡的だったのではないか。 
そう考えると解散は(勿論残念ではあるが)必然だったと言えるのかも知れない。

Baby Keem / Casino

上擦った発声の質感やラップのキャラクターが定まらない感じは確かに従兄弟にしてメンターでもあるKendrick Lamarに通じるものがある。
シンギング・ラップばかりなのかと思いきや、M6やM11ではKanoを連想させるような独白調をオフビートで聴かせたりとデリバリーもフロウもそれなりに豊富だが、精度が追い付いていないと言うか、スキルがそれ程高いとは思えない。

トラックの方はThe Alchemist的なロングタイム・サンプリング + ドラムレスのM1、ノイジーなシンセ・シーケンスがレイジ風のM2、Sounwaveプロデュースのアコースティックで牧歌的なポップ・ラップのM10等、良くも悪くもトレンドに目配せしたような内容が散りばめられている。
サンプリングにせよゲスト・シンガーによるものにせよ、殆ど全ての楽曲でヴォーカルがフィーチャーされており、如何にも当世風のポップ・ラップ・アルバムといった趣き。

一方でブリンブリンのベースが如何にもGファンクなトラックに最近何故だが引っ張り凧のToo ShortをフィーチャーしたM7、ラップこそほぼずっと歌っているがチップマンク・ソウル的なヴォイス・サンプルとハードコア・ヒップホップ風のブーム・バップのビートを組み合わせたM8、大仰なオーケストラ + トラップ・ビートのM9等、ほぼ全方位をカバーしていて節操は微塵も無い。

総じて頗るポップで上音にもビートにも統一感が無いという点でASAP Rocky「Don't Be Dumb」と共通する感覚があり、決定的なモードを欠いた現在のヒップホップ・シーンを反映しているとも言えるだろう。
好みかと問われると言葉に詰まるが、メロディがそれなりにしっかりとしている分何となく聴けてしまうという点ではKid Cudiなんかにも通じるかも知れない。

10 Best Albums Of 2025

  1. Rosalía / Lux
  2. Oklou / Choke Enough
  3. De La Soul / Cabin In The Sky
  4. Blood Orange / Essex Honey
  5. Ichiko Aoba / Luminescent Creatures
  6. Bad Bunny / Debí Tirar Más Fotos
  7. Black Country, New Road / Forever Howlong
  8. Geese / Getting Killed
  9. Darkside / Nothing
  10. Jenny Hval / Iris Silver Mist

Boards Of Canada / Inferno

アナログ風のシンセ・アルペジオによるイントロは「Geogaddi」のオープニングにそっくり。
ビートに多少創意工夫の跡が認められた同作に比べると、続くM1のビートは生のドラム演奏と区別が付かない程にシンプル且つパワフルで、コーラスが効いたゴシックなギターの存在も相俟ってエレクトロニカはおろか最早ロックに近い。

即座に「Music Has The Right To Children」を連想させるジャケットを始めとして、全面的にディストピックなセルフ・パロディといった趣きがある。
驚く程既視感と言うか、過去作の楽曲の特定の瞬間をフラッシュバックさせる場面が多くあり、例えばM12は「In A Beautiful Place Out In The Country」のマイナー調のリメイクのようだ。
M4の「Age Of Capricorn」なんてタイトルも「Aquarius」に呼応しているとしか思えない。

前作「Tomorrow's Harvest」の時点でもそれ以前よりもビートのアタックが強く明瞭になった印象があったが、本作では更にささくれ立った音響が増えたように思える。
不安感を煽るようなメロディも相俟って、「Music Has The Right To Children」や「Geogaddi」の時点では霧が掛かって朧げに見えていた牧歌的でノスタルジックな風景から、霧が晴れる事でホラーなディストピアの実体が立ち上がる、みたいなイメージを喚起する。

とは言えタイトルを始めとした印象操作に引っ張られ過ぎな嫌いもあって、楽曲自体は物凄くポップ。
特にヴォイス・サンプリングのリズム要素としての使用は昔から彼等がやっていた手法だが、M5やM10ではそれがほぼ全面的に用いられ、無機質なラップみたいな効果を生んでいて耳に愉しい。
尤も「Music Has The Right To Children」を彩っていた子供達の声はもう聴こえないという点が示唆的ではあるのだが。

Isaiah Rashad / It's Been Awful

M2は明らかにOutkast「B.O.B」のオマージュだが、だからと言って殊更にダーティ・サウス・リヴァイヴァル的という訳でもなく、M6等は寧ろGファンク臭を漂わせている。
他にはSZAを迎えてのポップ・ラップ調のM4やジャズ・ヒップホップ風のM9、Mac Miller「Circles」にも通じるような静かにエモーショナルなM11があったりと、ビートも曲調もバラバラで統一感には欠ける。

特に2026年に入ってからASAP Rocky「Don't Be Dumb」や最近だとBaby Keem等、トラック毎のスタイルの多様化を感じさせる作品に出会う機会が増えた印象がある。
トラップ/ドリルやブーム・バップとか、イーストやウエストやサウスとか、コンシャスやハードコアやギャングスタだとかいったヒップホップの類型やフレームが融解して急速に無効化しつつあるように思える。

本作に関して言うと、Baby Keemほどポップに振り切っている訳ではないし、レイジ風のシンセ等も無く音色的にはオーガニックな質感で統一されている。
佳曲もそれなりにはあるのに今一つ肩入れ出来ないのは、統一感の無さが問題というよりも前半のオルタナティヴ・ヒップホップ的なヴァラエティと比べると中盤以降の平坦さや地味さの落差が大き過ぎて拍子抜けしているだけなのかも知れない。

何れにせよ1人のアーティストのアルバムを聴いているという感覚は希薄で、プレイリストを垂れ流しにしているのに近い感覚がある。
ラップの声質やフロウに多様なスタイルの楽曲を1つの世界観に繋ぎ止めるに足るだけの個性が無いというのが大きいのかも知れない。
アルバムを通底するストーリーテリングや統一されたトーンが無くてはならないという古い固定観念が試されているような気分にもなってくる。

The Lemon Twigs / Look For Your Mind!

流麗なハーモニーやジャングリーなギターが初期〜「Rubber Soul」以降の中期The Beatlesや初期のThe Who、そして何よりも90年代におけるその手のサウンドのリヴァイヴァリストの筆頭と言えるJellyfishを猛烈に連想させる。
要するにサイケデリック・ロックの要素を加えたパワー・ポップというタグ付けに何らの違和感も無いサウンドではある。

M8ではサーフ・ロックでThe Beach Boysを召喚したり、M11ではThe Temptations「My Girl」を大胆に引用したりもしているが、何れにしてもレトロ趣味極まれりといった感じ。
かと言ってレア・グルーヴ的に記号性を弄んでいるような感じも無く、寧ろ60sのロック/ポップスのカバー・バンドのようで、2026年の音楽を聴いている感覚はまるで無い。

ラストのM14はコーラスやリヴァース・ディレイによるドラッギーでカオティックな音響処理やノイズに飲み込まれて終わる展開等が殆ど唯一2000年代のネオサイケデリア(特にTame Impala)との連続性を感じさせる楽曲ではある。
と言ってもそれももう20年以上も前のトレンドであって、何らかカレント・ミュージックとしての示唆を与えてくれるようなものでもない。

過去の遺産の流用によって何か新しいものを生み出そうといった戦略性は微塵も感じられず、その時代への憧憬のみを燃料として成立しているような音楽で、ここまで行くとある種のシニシズムすら感じさせる。
普段ならばここで、だったらオリジナル、つまりは60年代のThe BeatlesやThe WhoやThe Beach Boysのアルバムを聴けば良いという結論で話は終わりなのだが、それにしては楽曲のクオリティは高く、特にメロディには一笑に伏して無視するのが憚られる魅力があるのも確か。