Lana Del Rey / Chemtrails Over The Country Club

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M6は未だトリップ・ホップ的と言えなくもないが、全般的にブラシや微細なパーカッションがテンポ・キープする曲が多く、スネア・ドラムの存在感は薄い。
人が言う程にはアメリカーナの印象は強くはないが、確実にフォーク化しているとは言え、どんどんと近年のCat Powerに接近していくようだ。
(Nikki Laneの歌声のせいかも知れないが、特にM9は「Wanderer」に雰囲気が良く似ている。)
或いは最終曲でカバーしているJoni Mitchellの名前を想起させたりもする。

兎に角一本調子で地味だが、前作「Norman Fucking Rockwell!」だってそれ程華やかだったとは言い難い。
然して独創的という訳ではないが、個々の楽曲のソングライティングの優秀性は相変わらず。
フックと呼ぶには余りにも自然で狙った感じは受けないが、彼女の書くメロディには不思議と引き込まれてしまう魅力が確かにある。

透き通ったと言うには少し掠れて、決して弱々しい訳ではないものの今にも消え入りそうなファルセットは、喩えるならばサーフェス・ノイズが混じったようで、低音とのコントラストは二重人格張りに鮮やかだ。 
声を張り上げて歌い上げられるよりも余程エモーショナルで、深淵な残響と相俟って、鳴った瞬間に空気を一変させるような凄味さえ感じる。

満場一致で絶賛された前作と較べると、メディアの評価はそこそこと言った感じで、やはり多くはリリックに拠っていたという事なのだろう。
白人ばかりと揶揄されたというジャケットのバイアスもあるのかも知れない。
個人的には前作よりも劣るとは思えない、と言うか少なくともソングライティングや歌唱に於いては凌駕する出来栄えに思える。

Dinosaur Jr / Sweep It Into Space

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キャッチーなM1やM6は、Murphがポップでフレンドリーと評した前作を踏襲している。
(前作と同じくLou Barlow作の曲もきっちり2曲で、何か契約でも結んでいるのだろかと訝しんでしまう。)
M7のアコースティック・ギターディストーションのコンビネーションは初期の楽曲を思わせるし、M6はタイトルまで過去の楽曲の組み合わせのようで笑える。

本作最大のトピックは、共同プロデューサーとして Kurt Vileを迎えている事だろうが、全編に渡って過去のDinosaur Jrの何処かしらの時代のどれかしらのアルバムの曲を彷彿とさせる(という点自体がもうかれこれ10年以上も変わらない)。
兎にも角にも何処を見渡してもKurt Vileの存在が感じられるところは無い。

強いて挙げるならば、中盤のギター・ソロ以外を終始アコースティック・ギター主体で押し通したM4や、跳ねた感じのピアノが基調となっているM9には多少珍しさが無くもないが、それにしたってJ Mascisの最初のソロやThe Fog名義の1枚目を想起させる。
その驚異的なまでのワンパターンさにも関わらず、再結成バンドの多くがコンスタントに活動を続ける事すらままならず、続いたとしても大して評価される事が稀な中にあって、Dinosaur Jrだけがそれなりのポピュラリティを維持し続けられているのはマジックとしか言いようが無い。

楽曲のポップネスという点で言えば確かに粒揃いで、再結成以来(ひょっとすると「Green Mind」以降でも)最高の出来かも知れない。
Lou Barlow作の2曲も悪くはないが、本作に関して言えばJ Mascisのソングライティングに於けるポップ・センスが爆発している。
相変わらず関心するようなところは何も無いが、誰も嫌いになりようのないDinisaur Jrであるのは間違いない。

Godspeed You! Black Emperor / G_d's Pee At State's End!

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当時は兎角暗黒だとかいった接頭辞を冠されがちだったと記憶しているが、M4終盤の美しくセンチメンタルで、寧ろ後には希望しか残らないような旋律には、まるでそのような形容は似つかわしくない。
(勿論全くの偶然だろうが、Oneohtrix Point Never「Good Time」のエンディングとムードが良く似ている。)

Mogwaiにも言える事だが、こんなにポップである意味ロマンティックで、そして普通のロックだとは思っていなかった。
尤もGY!BEに最も影響力のあった2000年前後の時期に聴いていたとしたら、同じように感じていたかどうかは怪しい。
20年の間にロックという言葉が指し示すスコープは随分と拡がったものだと思わされる。

浮かんでくる感想は総じてMogwaiと被るが、アーティフィシャルでクリーンな感じのあった「As The Love Continues」と較べると、本作のサウンドはもっと目が粗くローファイで、且つノイジーでダイナミックだ。
完全にコントロールされたMogwaiのそれとは違い、ギターのフィードバック・ノイズは奔放で、よりパンキッシュでインディ・マナーな印象を受ける。

60年代の電子音響のようなオープニングに続いて、バリトン・サックスのようなエレクトリック・ギターが高らかにファンファーレを鳴らしたのも束の間、オルガン・ドローンから徐々にビルドアップしていき、シンフォニックで勇壮な中盤でクライマックスに達する長尺のM1はジャム・バンド的で、後半に於ける叙情的なヴァイオリンの音色が齎すアーシーなムードはJaga Jazzistのようでもある。
ヴァイオリンの音色は全編に渡って重要な役割を果たしており、M3終盤のダイナミズムと高揚感はまるRovoみたいだ。

Serpentwithfeet / Deacon

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精巧なヴォーカル・レイヤーによるポリフォニックなコーラスはMoses Sumneyに通じる。
特にM5のインタールード等はゴスペル/クワイア的なホーリーなイメージを喚起させるし、M10に至っては一人でヴォーカル・グループを模しているかのようだ。
とは言えMoses Sumneyとは違って生楽器のチェンバーな要素は希薄で、シンセ主体のミニマルなプロダクションが醸出するドリーミーなアンビエンスやウェイトレスな浮遊感はSolangeを連想させる。

然程強調されている訳ではないにせよ、微細なノイズの存在等がBlood Orangeのイメージと被るところもあり、要するに如何にもなオルタナR&Bだとは言える。
少しMiguelを彷彿とさせる甘い声質は個人的に余り好みではないものの、リヴァービーな音像がユーフォリックなM2は、Boys II MenミーツAnimal Collective(というよりPanda Bearか)といった奇矯な連想をさせ面白い。

白眉は柔らかなアナログ風のシンセの音色がMount Kimbie「Mayor」を思わせるM11で、カリンバとパーカッションが織り成すポリリズミックなビートがChari Chari「Aurora」をも想起させるバレアリックな名曲。 
アルバム中でも群を抜いて突出しているこの1曲だけでも買った価値はある。

この曲のクレジットにはすっかり消えたと思っていたSamphaの名前があり、物憂げなギターの旋律とアトモスフェリックで印象的なシンセの音色が染みるM4でも良い仕事をしている。
Sbtrktとのコラボレーションと言い、Solangeのプロデュースと言い、どうもこの人は他人の作品での方が実力を発揮するようだ。
と言っても未だソロワークが1作しか無いのだからそのような評価は性急でフェアではないだろう、という事で次のソロ作品が俄然聴きたくなってきた。

Floating Points Pharoah Sanders & London Symphony Orchestra / Promises

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確かに漫然と流しっ放しにしている分には地味で、耳を持っていかれるようなキャッチーなフックも無いが、どっぷりとその音世界に身を浸す事で得られる聴取体験は豊潤だ。
集中的聴取が要求されるという意味ではやはりSam Shepherdらしい作品だと言える。
Pharoah Sandersが「Elaenia」を聴いて関心したというのが本作の契機だそうだが、確かに「Elaenia」のある部分を切り取って培養した上にPharoah Sandersのテナーを乗っけたような感覚がある。

決して浮いているという意味ではないが、「Elaenia」で感じたような驚異的なまでに精緻な音響操作の影は薄く、寧ろラフな印象を受ける。 
M4ではPharoah Sandersスキャット未満のヴォイス・パフォーマンスを披露する等、良い意味で適当と言うか、細部まで精緻にデザインされたFloating Pointsの作品とは趣きを異にするリラックスした雰囲気がある。

便宜上9つのトラックに分かれてはいるものの、実質的にはM8までの長尺の1トラック+アウトロ的な小品のM9で構成されている。
先ず最初のクライマックスはM2の中盤で訪れる。
Pharoah Sandersのテナーの情感が増して、London Symphony Orchestraのストリングスと美しいハーモニーを現出させる。
2つ目はM6の中盤から後半に掛けて、London Symphony Orchestraが一気に前面に押し出て完全に主役となる瞬間。

M7終盤の激しく明滅し出すレトロなエレクトロニクス等の聴きどころはあるものの、Sam Shepherdは1鍵盤/エレクトロニクス奏者に徹している印象で、コンダクターとしての存在感は然程強くない。
Floating PointsのトラックにPharoah SandersLondon Symphony Orchestraが参加したといった感じはまるで無く、延々と同じピアノのフレーズを基盤に繰り広げられる3者が対等の立場の即興演奏で、その在り方は紛れも無くジャズそのものだ。
敢えて型に嵌めればジャズ・アンビエントといった趣で、喩えるとするなら2020年代の「In A Silent Way」といったところだろうか。

Foo Fighters / Medicine At Midnight

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アルバム全編に渡って登場するチージーな女声コーラスは流石にやり過ぎの感が否めず、80年代のThe Rolling Stonesみたいで何とも気持ち悪い。
と思ったらインスパイア元はDavid Bowie「Let’s Dance」という事だが、まぁどっちでも良い。
因みにこのバッキング・ヴォーカルにはThe Bird And The BeeのInara Georgeが参加していて些か意外に思えたが、振り返ればNora Jonesとのコラボレーションなんていうのもあった事を思い出せば大して新鮮でもない。

プロデュースはBeck「Colors」を手掛けたGreg Kurstinで、言われてみればパーカッション類の使用等の共通点があり妙に納得する。
ただあくまでロック・バンド的なサウンドの範疇には収まっており、大仰なコーラスを除いては「Colors」のような戦略的セルアウトを感じさせる要素は然程多くはなく、些か中途半端な感は否めない。

ポップに振り切れたという面では「The Colour And The Shape」に良く似ているし、ストリングスの多用等の点では「In Your Honor」を思い起こさせもする。
アコースティック・ギターで始まるM4のイントロは「Learn To Fly」そっくりで、途中でテンポが加速する展開は「New Way Home」を彷彿とさせる。
要するにポップ路線のFoo Fightersで(尤もポップでなかった試しは一度も無いのだが)、「One By One」や「Wasting Light」のような、Dave GrohlとPat Smearのルーツ・オリエンテッドなアルバムではない事だけは言える。

最早パンクやハードコアの名残が微塵も無いハードロックで、これなら「王道アメリカン・ロック」なる、彼等を指して良く使われる形容にも腹落ちする。
つまるところあの退屈なPaul McCartneyの新譜とそう大差の無いサウンドだが、繰り返し聴いている内に然程不快感を感じなくなっていくから不思議なものだ。

Mogwai / As The Love Continues

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前作の「Party In The Dark」に続くような歌物のM4や「Siamese Dream」の 頃の Smashing PumpkinsようなM7は、良くもまぁ飽きもせずと関心する程にワンパターンと言えばそれまでだが、前作ではBloodthirsty Butchersを思わせるような轟音に比重が置かれていたのに対して、本作ではメタリックでクリーンなディストーション・ギターが基調になっている。
Dave Fridmannにしては妙にクリアな音像で、Zoomで遠隔プロデュースした事が影響しているのかも知れない。

プリズム的に乱反射するエコーの効いたシンセリフが幽玄なM3を筆頭に、シンセの存在感が前面に押し出されており、前作と較べてよりアンビエント感があると言うか、要するにシューゲイズ的と言える。
曲によって(特にM5なんかは)My Bloody ValentineというよりもCoaltar Of The Deepersみたいで決して嫌いじゃない。 
マリンバの音色に先導されて淡々と始まり、ストリングスと共に壮絶に展開するM8は特に白眉だ。

M2冒頭のチープなドラムマシンによるビートはやや意外で、ついでにメロディが喜多郎みたいでニューエイジなんて言葉が頭を擡げたりもする。
M6のレトロなヴォコーダー使いはまるでAirみたいだし、M10の素朴なアルペジエイターはKraftwerkを想起させ、オールド・ファッションなエレクトロニクスの使用がコンセプトの一つではあるのかも知れない。

とは言え総じて何ら変哲も無いロック・サウンドの範疇ではあり、改めてこれが単にインストというだけでTortoiseなんかと並んでポスト・ロックの名の下に陳列されていた時代の素朴さに思い入る。
そのロック過ぎるという点こそが、当時の自分がMogwaiGY!BEや、はたまたSigur Rosに肩入れ出来なかった理由であるが、全てがフラットになった現在だからこそそれなりに楽しんで聴ける作品ではある。