The Flaming Lips / Embryonic



ここでは、Flaming Lipsのその短くはないキャリアの中でも
何度か目の大きなシフトチェンジが為されている。
そしてその結果完成したこの作品は、個人的に彼らの最高傑作だと思う。


「The Soft Bulletin」以来続いてきたユーフォリアや荘厳さは後退し
代わりにここでは本来彼らが有していたフリーキーさが前面に押し出ている。
構成楽器に劇的な変化がある訳ではないし
彼らの代名詞であるサイケデリアも無くなってはいないが
一聴して判るレベルで、2つの大きな変化が認められる。


1点目は、サウンドのテクスチャである。
荘厳で些か大仰なシンセ音やストリングスが基調となっていた
「The Soft Bulletin」以降の作品と異なり
本作においては、ギターからシンセに至るまでの音の肌理に
ざらつきささくれ立った質感がある。
その質感は確かに「ガレージ」というキーワードを想起させる。


もう1点、ソングライティングにおける展開の変化が挙げられる。
(勿論例外はあるものの)
これまでのFlaming Lipsのソングライティングは比較的オーソドックス
つまり、「Aメロ→Bメロ→サビ」という
伝統的なポップミュージックの展開に沿ったものだった。
本作では、そこからの大きな逸脱では無いものの
展開はよりシンプルかつミニマルで、反復の要素が比重を増している。
この事は本作の曲群がジャムセッションから発展したことに起因するようだ。


しかしながら本作の魅力であるそのフリークアウトした感覚は
上記の変化だけで説明が付くものではない。
そのフリーキーとさは、言い換えれば
曲を聴いている間にふと訪れる強烈な違和感。
じっくり聞けば聞くほど、耳の遠近感が狂ったような感覚に陥る。
その違和感は、各音の位相
特に音量のアンバランスさに起因しているように感じる。
メロディやリズムを構成する主軸となる音に対して
装飾音の音量が余りにデカい。
他の音との調和を無視して
突発的に大音量で響く金属的なシンセ音やノイズは
凶暴さや不条理さといった感覚を齎す。
非常に単純だが大胆な、一つのダブ的手法と言えるかも知れない。


ところでこういった感覚を、自分は既に知っていて
それはNumber Girlの最後の作品である
「Num-Heavy Metalic」と共通する感覚なのだが、そう言えば両方とも
プロデューサーはデイヴ・フリッドマンなのだった。


ミュージシャンの野心的な音楽的冒険に手を貸す時の
デイブ・フリッドマンは大胆で破天荒、ということか。