Ariana Grande / Eternal Sunshine

Mac Millerの元カノだという事と、聴いてもいないのにそのMac Millerを「天使だった」と歌う「Thank U, Next」の歌詞に絆されたりもして、何となくAriana Grandeには良いイメージがあったのだが、やっぱりいざ聴いてみると場違い感が半端無い。
何度聴いても偶々ラジオで流れてきた音楽を耳にしているような感覚が拭えない。

その感覚を一言で表すとしたら「ウェルメイド」という事になるが、M2のソフィスティ・ポップ等、曲によってはJessie Wareとそうは違わない。
Björk「Big Time Sensuality」そっくりなM9のハウスや、Mac Miller「Circles」のプロダクションを彷彿とさせるM6やM12等のフックもあるが、それが余りに解り易過ぎると言うか、チージーと言うか、もっと辛辣な言い方をすれば幼稚な印象が否めない。

透明感のある声や歌唱法には然程癖も嫌味も無く、全く嫌悪感がある訳ではないものの一切感情移入は出来ない。
思春期的で些か恥ずかしいが、自分が聴くべき音楽ではない、或いは自分の居場所ではないという感覚が強く湧き起こる。
特に近年は寧ろその違和感を自ら進んで追ってきたようなところがあり、その結果Kylie Minogueにまで至った訳だが、このドアは何処にも繋がっていないと言うか、出口であって入口ではないという確信めいた直感がある。

冷静になって考えてみると、何処か悪いところを見付けてやろうという穿ったバイアスが掛かっているような気がしなくもないが、一度拒否反応が起こると途端にティーンに向けて私生活を切り売りするセレブだとしか思えなくなってくる。
夫の不貞を公開するBeyoncéだって同じだと言われれば確かにそうだが、背負っているものが違うのだとしか。