Beyoncé / Cowboy Carter

トリロジーの第2段はカントリー。
クィア・カルチャー讃歌としてのハウス・ミュージックの後に、アメリカの保守を象徴するジャンルを持ってくるとは相当挑戦的に思える。
「Lemonade」収録の「Daddy Lessons」へのカントリー界からの批判に対するリアクションである事は明白で、少し採り入れる程度では冷やかしだとしか受け取られないのであれば、がっつりアルバム1枚作ってやろうという心意気を感じる。

但し単なるアイロニーでも挑発でもなく、南部出身のBeyoncéならではの複雑な含蓄を感じさせる。
(尤もそれは2016年の時点で「Lemonade」に同梱された映像作品を観れば明白なのだが。)
それどころかMiley Cyrusを迎えたM16等は分断を乗り越えようとする意思の発露のようでもある。
「Lemonade」「Renaissance」に較べてプロダクションに聴きどころが多いとは言えないが、それを埋めて余りある歌の力を感じさせる作品である。

とは言え本作は決してカントリーだけの作品ではない。
シタール(弾いているのはなんとNo I.D.)が印象的なオープニングはどちらかと言えばサイケデリック・ロックだし、M15は黄金期のThe Rolling Stonesのようだ。
M20はAretha FranklinWilson Pickettを彷彿とさせる60’sのサザン・ソウル風、Underworld「Born Slippy」使いのM24等、相変わらず引き出しのヴァリエーションは豊富。

当初は本作が3部作のトップ・バッターとして構想されていたらしく、終盤に進むに連れてエレクトロニック/ダンス・ミュージック色が濃厚になっていくのは「Renaissance」へのシームレスな繋がりを企図しての事だろう。
最終曲の後半がM1に繋がる循環構造を採っており、事実上のクロージング・トラックであるM26が「Renaissance」の「Pure/Honey」に繋がっているのも興味深い。
「Renaissance」のラストがDonna Summer「I Feel Love」を大胆に引用した「Summer Renaissance」であった事を思い起こせば、トリロジーの最後ではディスコに始まってファンク/ソウルの歴史を遡るつもりだろうか、とか今から妄想が止まらない。