Sun Araw / The Inner Treaty



ダブにアンビエントサイケデリック・ロック等々の断片が
取り留めなくまた支離滅裂に垂れ流される様からは
Hype Willamsに通じる怠惰さが感じ取れ
やはりこれこそが時代のモードなのだと確信する。


ギター、ドラムにベースに電子オルガンやシンセサイザー
各種パーカッションにそして声
楽曲を構成する要素に音色的な目新しさは希薄でエレクトロニクスの存在感も薄い。
断片的ではあるが明確なリズムがあり
恐らくは完全に譜面に落とす事が可能だという意味に於いては
実にオーセンティックであるにも拘わらず
このサウンドは音楽として成立するか否かのギリギリのところで
鳴っているようにも聴こえる。
それは例えばOvalのサウンド・デザインなんかよりも余程集中的な聴取を拒むようで
確かにそこには演奏があるのに音楽として認識するのが困難
という非常に厄介な代物に思える。


Ovalに限らずエレクトロニカの時代に於いては
如何にして非楽音(ノイズと言い換えても良い)を音楽に回収するか
というのが一つのテーゼだったのに対して
Sun Arawのサウンドは「楽音による非音楽」を
標榜しているかのようにも思える。
グリッチもハーシュ・ノイズも無ければ有象無象の物音の存在感も希薄で
過剰なダブ処理は無視出来ない要素ではあるものの
それはフィクション性を助長するという意味に於いてはむしろ音楽的な要素だろう。
各音を聴けば如何にも音楽的な要素ばかりであるにも拘わらず
その集積が限りなく非音楽=ノイズに近く聴(聞)こえるという転倒に於いて
実にラディカルな音楽(?)だと思う。


と言うかまぁ本人にそのような企図があるかどうかは知る由も無いのだが
仮に単なる偶然だったとしたらナチュラルにこんな音楽(?)が創れるというのは
一体どんなパーソナリティなのか興味深い。
幾ら足りない脳味噌で思索を巡らせたところで
このサウンドの秘密を論理的に解明する事など出来そうにないが
一つ言える事があるとすれば
ここに欠落している(或いは意図的に削除されている?)のは
演奏を音楽として成立させようという意思のようなものなのかも知れない。