KTL / KTL V

Mike Paradinasが居なければ現在ほどダブステップを聴いてはいなかっただろうというのと全く同じように、Peter Rehberg及びEditions Megoの存在無くしてはEmeraldsやOneohtrix Poing Neverさえまともに聴いていたかは怪しい。
まさかエレクトロニカの終焉から10年を経て、再度Megoのリリースをこれほど心待ちにする事になるとは思いも寄らなかったが、「Editions」が付く前後ではレーベルのイメージに変化があるのも確かだと思う。

Emeralds「Does It Look Like I'm Here?」とOneohtrix Point Never「Returnal」を初めて聴いた際は、ある意味で旧態依然とも思えるシンセ音のメロウネスと嘗ての先鋭的な電子音響レーベルのイメージとの間に強烈な違和感を感じたものだが、そのポップネスがMegoの再生を深く印象付けた事も間違い無い。
勿論Fenn O'BergのユーモアにもFenneszの抒情にも確かにポップネスはあったが、同時にそこにはそこはかとなくしかし払拭し難いスノビッシュな感覚が存在していて、EmeraldsやOPNのある意味でのフレンドリーさとの間には明確な断絶がある。

Editions Megoの良い意味での軽さの一方でKTLのサウンドは相も変わらず只管重い…。
鼓膜どころか脳髄が震えるようなヘヴィ・ドローンと凶暴なフィードバックが、然した展開も無く延々と続くのを聴いている内にあらゆる気力が吸い取られていく。
ドローンに代わって不穏な電子音を背景に不気味なスポークン・ワードが繰り広げられるM5なんかに至ってはもうちょっと死にたくなるほど…。
元々バレエの為の音楽提供を目的としたユニットだけあって自然な流れだとは思うが、M4やM6で聴こえる管弦楽器のオーケストラルな響き等からは、Sunn O)))の動向と重なるようにポスト・クラシカルへの接近が感じ取れる。
それはウィーンという土地でポスト・テクノの地平にクラシック・ミュージックの最終形(現代音楽)とも言えそうな電子音響を持ち込んだ嘗てのMegoのイメージを思い起こさせるに充分過ぎるもので、Editions Megoのフレンドリーさは微塵も無い。

敢えて言うなら無機質の権化のようだったPeter Rehbergの発する電子音から、幾分情感と言うか、もっと言うなら人間味みたいなものが感じられるのは、Stephen O'Malleyのウェットさに染められているだけなのか、はたまたPeter Rehbergの円熟を物語っているのかは知る由も無いが、出来る事ならPita名義の新作を聴いてその点を確かめてみたいものだ。