Spiritualized / And Nothing Hurt

f:id:mr870k:20190309223145j:plain

ウクレレにスライドギター、ピアノにブラスにストリングス等の多種多様な楽器を使った豪奢なアレンジメントには、確かに殆ど1人で創ったとは思えない程の壮大さがある一方で何処か孤独を感じさせる音楽でもある。
M3のイントロで高らかに鳴るオルガンは特に「Automatic For The People」の頃のR.E.M.を彷彿とさせ、まさかタイトルは「Everybody Hurts」へのアンサーだろうか。

ユーフォリックなメロディとトラディショナルなフォーク・ロック調が、徐々に様々な楽器音やスペイシーな装飾音を引き連れながら醸出するカオティックなサイケデリアはThe Flaming Lipsを想起させ、Jason Pierceのよれよれでお世辞にも巧いとは言い難い歌はMichael Stipeよりも確実にWayne Coyneに近い。

ミキシングも混沌としているが、Dave Fridmannの仕事のように覚醒を促す異常な音響が出現する事はなく、穏やかなアルバム全体に於いては確かにギター・ドリヴンでアップリフティングなM5、M7がフックを形成してはいるものの、他はどれも同じに聴こえるし展開にも乏しく、一方的な音の足し算ばかりで効果的なブレイクも少ない。
勿論それがある種の狙いである事は解るが、それを差し引いてもやや退屈さは否めない。

とか言いながらも繰り返し聴く内に癖になるような中毒性も確かに無くはなく、それはやはりまるで90’sのR.E.M.の良さに気付いた時のような感覚を惹起するが、そうすると寧ろMichael Stipeの歌声が猛烈に恋しくなり些か困る。
解散からもう8年そろそろせめてソロ・アルバムくらい出してはくれないものだろうか。

Julia Holter / Aviary

f:id:mr870k:20190225003144j:plain

瓦解寸前のジャズ・アンサンブルの持続のようなカオティックなオープニングは、前作「Have You In My Wilderness」収録の「Vasquez」に於いて試行されていたアイデアの拡張にも思える。
特にこれまでのJulia Holterのイメージからするとやや意外な程の声量を以って張り上げられる歌唱と、そのリヴァーブによる伸長には、一枚壁を突き破ったような印象さえある。

集中的聴取を拒むように歌も演奏も随分とアブストラクトになり、豪奢なチェンバー・ポップは再び前景化したアンビエント/ドローン的意匠に包まれて、前作まで数作続いた表面上の耳障りの良さやアクセシビリティは完全に捨象されている。
それらの実験性は勿論これまでの作品でも散見されたものの、ここまでアルバム全体に通底するのは初めての事で、エクスペリメンタリストとしてのJulia Holterの姿がこれまでで最も明瞭に浮かび上がってくる。

楽曲を構成する音色に然してドラスティックな変化は無いにも関わらず、そのような印象をコントロールする事の出来るコンポジション能力はやはり特筆に値する。
本作のそのある種のアヴァンギャルドな印象の源泉は第一に拍の取り辛さにあるようにも思え、明確なリズムとポップスの構造を持った楽曲の多かったここ2作とは対照的にノンビートが多く、あったとしても歌と様々な器楽音が噛み合う瞬間は滅多に訪れない
(が故に散発的に訪れるその瞬間が確かなフックになっている)。

器楽音主体という違いはあるものの、「Ekstasis」の頃への揺り戻しも感じさせ、M5やDisc2-M3等のシンプルなピアノと歌、そしてそれらの残響が織り成すアンビエント・フォークには、Grouperの近作にも通じる感覚がある。
一楽曲に於ける組曲のような曲調の変化は最近良くある傾向で、例えばOPN「Age Of」等にも同調しているように感じられ、様々な方向に拡散した10年代のアンビエント/ドローンが、形を変えて再び同じ場所に帰着するような想像をさせたりもする。

Aphex Twin / Collapse EP

f:id:mr870k:20190223232320j:plain

バウンシーなキックとベースは「Syro」を踏襲している一方で、M1のまるで「Drukqs」の頃に戻ってしまったようなメランコリックなメロディラインや、過剰なスネア連打に瓦解寸前の大胆なドラム・ブレイク等は、「Syro」で聴かせた(父親になった事の影響とまで思わされた)ある種の成熟が嘘だったかのようで、不遜に笑うRichard D Jamesの顔が思い浮かぶ。
M2の執拗なサブベースとタムの連打によるスラップスティックなリズムは、聴きようによっては盟友Mike Paradinas経由のジューク/フットワークの影響を想像させる。

あくまで想像に過ぎず確からしい事は言えないが、その意味でLuke VibertSquarepusherの影響下でドリルンベースに移行して以来初めて、同時代のサウンドをリファレンス・ポイントに制作された作品と言えるかも知れない。M4冒頭のガムランめいた高音はShackletonを思わせるが、中盤の何処となく「I Care Because You Do」を思わせるシンフォニアを経て、終盤では「Selected Ambient Works」時代のようなシンセ・アンビエンスへと遡行する。

M5の高速ブレイクビーツとイノセントでありながら何処か不安定なメロディの組み合わせも、「Richard D. James Album」を彷彿とさせる。

と書くと結局「Syro」のキャリア横断的な造りを踏襲しているようだが、様々な旋律・音色・リズムが入れ替わり立ち替わりする息も付かせない展開は、これまで以上に躁的で、辛うじて循環構造は残っているものの単純な反復は皆無で、解り易い脈絡は無く、最初と最後で同じトラックとは思えない程の飛躍を見せる。

「Syro」以降のAFX名義の習作的な性格とは異なり、入念に作り込まれた感じがあり、緩やかにではあるが確かにポスト「Syro」を試行する様が伺える。

Thom Yorke / Suspiria

f:id:mr870k:20190223224551j:plain

弦楽器をマニュピレーションしたような電子音が時折金属的に軋むM1に始まり、「A Moon Shaped Pool」にも通じるピアノとストリングスによるオーケストレーションに血が飛び散る光景を想像させる不気味な具象音が挿入されるM2、14分に渡ってゴーストリーなコーラスに不穏な環境音/電子音やフルートらしき音色等がレイヤーされるDisc2-M6等、如何にもホラー映画のサントラらしい楽曲が並んでいる。

M6のオルガンのような音色とストリングス、M13のシンセが齎すホーリーな感覚はOPN版バロック・ポップ「Age Of」にも通じ、M9の重く轟くドローンに鬱々としたピアノや環境音が挿入される様は坂本龍一「Async」との共振も感じさせ、サントラとしての機能性の結果であろうが、Thom Yorkeによるアンビエント/ドローンないしはモダン・クラシカルへの接近といった印象を受ける。

OPN「Good Time」のようなある種のストーリーテリングは無く、各々の楽曲は単発的で、ホラーであるという事意外には映画に関するどのようなイメージも湧いてはこないがその取り留めの無さが却ってサントラ的でもあり、何れにしてもThom Yorkeが作るサントラとして想像出来る範囲を大きく逸脱するものではない。

強いて挙げるならM3・M13等のヴォーカル入りは逆に少し意外で、ピアノの弾き語りにフルートやシンセ、或いはクワイアによる装飾少々といったミニマルな構成ながら、何れもRadioheadの作品に収められていたとしても違和感は無い。
自身の歌声に関するコンプレックスを窺わせる発言の多いThom Yorkeだが、確かにマルチ・インストゥルメンタリスト集団でありながらRadioheadにインストの楽曲が少ない事を考えても、意外にリスナーが考える以上にヴォーカリストしての自負は強いのかも知れない。

Interpol / Marauder

f:id:mr870k:20190209233130j:plain

美声とは言えない歌声やダンス・パンクな的ドラムとべースは、LiarsとFranz Ferdinandの中間といった感じのサウンドで、勇壮で如何にも生真面目そうなM1等からは更にArcade Fireにも近い印象を受ける。
全然嫌いではないが何とも真っ当過ぎて如何なる感想も湧いてこない。

ギターによるドローン風等の極短いインタールードもあるし、微かにキーボードで色付けが加えられてはいるものの、ギタードリヴンでシンプルなロックが大半で、近年のインディ・ロックの平均と較べても極端に装飾と呼べる要素は少なく、潔いと言えば聞こえは良いが、これと言って面白さに欠けるというのが正直なところ。

本作がDave Fridmannのプロデュースというのはやや驚きで、言われてみればロウなファズ・ギターやシンバルの響きに聴き覚えはあるが、Number Girl「Num Heavy Metallic」やThe Flaming Lips「Embryonic」等のように突然ハッとさせられるような極端な音響は一切登場しない。
アーティストの野心的な試みに力を貸す際のDave Fridmannの力量は前述の作品が既に証明するところだが、Steve Albiniとは違って包容力があり押し付けがましくないが故にまた、当たり障りの無い作品も作れてしまうという事だろう。

ツイン・ギターとドラムスの相当な熱量と集中力はオーセンティックなロック・バンドとしては理想的かも知れないと思わされたりもするが、今自分が聴かなくてはならない理由がまるで見当たらず、2018年にYves TumorもSophieも聴かずに本作を聴いている自分に焦りを感じたりもする。
この時代に置いていかれるような感覚は丁度1999年から2000年辺り(つまりはオルタナティヴの衰退期でありエレクトロニカ/ポストロックの発展期)に経験したものに近く、と言う事は間も無く何らかのブレイクスルーが起こる、のだろうか。

The Internet / Hive Mind

グルーヴィでスムースな中にも何処か歪さを残すベース・ラインとファンキーでありながら洒脱なギター・カッティングが基軸を担っているが、生ドラムを中心としながらも、90’s後半のJ Dillaを思わせるクラッシンなスネア等の様々なエフェクトや、ドラムマシンからヴォイス・パーカッションに至るまでの多様な音色を駆使した創意工夫に富んだビートの効果によって、バンド形態にありがちな、どの曲も同じに聴こえるという事態が巧妙に回避されている。

アップリフティングなファンクに4/4のキックを組み合わせたM2、2・3拍目にアクセントを置いたM3やボサノヴァやサンバを応用したM4等、リズムは多様で、中音域でも時折Moonchildによるブラスが非常に効果的に配置されている。
特にベースもビートもスタティックで抑制された雰囲気の前半から一転、後半にブラスが合流しスピリチュアル・ジャズ宛らに展開するM7は白眉と言って良い。

Syd「Fin」にも通じるクールで官能的なムードがアルバムの大半を占めているが、フラメンコ風のギターがサウダージを漂わせるM5と、続くM6の鬱屈した感じからは、UA「Ametora」を思い出したりもして、エモーションはより幅広い。
どの曲も充分にフックがあるが故に、アルバム全体を俯瞰すると逆に強弱に乏しく、抑揚が無く感じられてしまうのは玉に瑕に言ったところ。

ヴォーカルへのエコー処理がアトモスフェリックな効果を生んでいるが、ドリーミーなM8を除いて、サウンドメイキングに於けるシンセサイザーへの依存度は低く、ビートにトラップ的な要素も一切無い。
このような作品と対峙する時、オルタナR&Bとは一体何だろうか、ネオソウル時代と何が一体違うのだろうかという疑問がいつも頭を擡げる。
少なくともThe Internetを評する際のそれには要するにインディR&Bと同義語以上の意味は無いだろう。

Pusha T / Daytona

ソウルのサンプルを切り取った短いループに、ピッチ・アップされたヴォーカルや劇的なフック等は、如何にもKanye Westのトラックらしい。
声質もフロウも(時折喉を掻き鳴らす感じの発声は特に)酷似しており、Kanye Westが参加したM6はどちらのラップだか俄かには区別し辛い程だが、Pusha Tの方がやや自己顕示欲が薄いように感じられるだけ随分とフラットに聴ける
(ラッパーの自己顕示欲を否定するのもどうかと思うが)。

敢えて挙げるとすればM5の前半が多少それっぽいのを除いてはトラップの要素は希薄で、The Carters「Everything Is Love」に於けるJay-Zとは対照的。
振り返れば「Yeezus」の時点で既にトラップのビートを借用していたKanyeだけに、それが広く一般化した現在ではもうとうに見切りを付けているという事かも知れない。
バック・トゥ・ベーシックなビートとトラックがシームレスに繋がる組曲的な展開は、「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」辺りへの揺り戻しを感じさせ、Kanye絡みの作品では近年で一番好みかも知れない。

それにしてもKanye Westの存在感が濃過ぎる余り、肝心の主役であるはずのPusha T自身の個性はと言うとこれが良く判らない。
G.O.O.D. MusicのCEOを受け継いだという事もあって、実際にはそんな事はないのだろうが、Kanye Westの操り人形のようなイメージを抱いてしまうのは否めない。
1曲くらいKanye以外が手掛けたトラックがあればまた印象も違ったのだろうが。

7曲21分と随分あっさりしているが、これが倍くらいの長さあったとすると流石に鬱陶しく感じられそうでもあり、功を奏しているような気はする。
しかしGrouperと言いNine Inch Nailsと言い、最近30分を切るような極端に短い作品がアルバムとしてリリースされる事が多いのは一体どういう現象なのだろうか。
ストリーミングという流通形態と無関係とは思えないが、未だにCDを買っている人間にはさっぱり見当が付かない。