Bonobo / Fragments

f:id:mr870k:20220225203347j:plain

スピリチュアル・ジャズ的な楽曲を多く含んでいた前作に較べてよりストレートなハウス/ダンス・トラックの存在感が強く、レーベルメイトでもあるBicepやDisclosureにも通じるような機能性がある。
M11のピッチを落としたドラムンベースみたいなビートやアナログ風のシンセの質感は、もしやFloating Pointsにでも影響されたのだろうかなんていう妄想をさせたりもする。

ダンス・トラックに共通する、ブレイク開け直後に上物が再登場する前のビートのドライヴ感は頗る格好良い。
幾分クリシェ的であるのは確かだが、ダンス・フロアを恋しくさせるという意味ではこのご時世だからこそ尚更魅力的にも感じられ、Bonoboと言えばダウン・テンポというパブリック・イメージが覆る感がある。

上物は管弦楽器やハープ等の生音主体で、シンセのアナログ風の質感に、カリンバブブゼラ(?) 等のトライバルな音色も健在で、この辺がDisclosure「Energy」との近親性の源泉になっているのかも知れない。
印象としては「Migration」の音色を、そのまま四つ打ちや2ステップのビートに落とし込んだ感じで大きな方向転換を感じさせるものではない。

「Migration」では豊潤なジャズ曲に較べてダンス・トラックがやや凡庸で足を引っ張っている感もあったが、同作に横溢していたロマンティシズムを継承しつつも、それらが1トラックの中に自然と統合されている。
タイトルや幻想的なジャケット等、前作を踏襲する部分は多いが、アルバムとしての凝集性という面での完成度に於いては本作に軍配が上がる。

Young Thug / Punk

f:id:mr870k:20220219222119j:plain

元よりYoung ThugにはFutureと共に現在のシンギング・ラップの隆盛を作った張本人という印象があるが、ここまでポップ・ラップの波に呑み込まれてしまっているとは。
ギターの存在感が強いトラック群はLil Nas Xにも近く、ヒップホップが人種を超えて真に大衆的なレベルでポピュラリティを獲得するには、やはりロック的な意匠が不可欠という事なのだろうか。
(安直この上ないがやはりRun-DMC「Walk This Way」に思いを馳せずにはいられない。)

勿論一定の多様性は認めつつも、今更ではあるが広義のヒップホップ/ラップ・ミュージックは本当にアメリカの歌謡曲に成り下がったという事なのだろう。
ロックで言うと80‘sのヘア・メタルみたいなものだと思うが、特にアルペジオの弾き語り風のM1やアコースティックなPost Malone参加のM8等は死ぬ程陳腐で吐き気すら催す。
こんな幼稚なメロディで胸を焦がすティーンなんて果たして実在するのだろうか。

一方でピアノ中心のリリカルなトラックも多く、SlowthaiやGhetts等の近年のグライム/UKヒップホップと共振する感じもある。
クレジットの何処にもその名は無いが、M5で聴こえるファルセットは確かにJames Blakeのそれを思わせる(遂にその声はある種のジャンルのサウンドシグネチャになってしまったのだろう)し、微かにラテン・ポップ風のM9はAJ Traceyみたいで、独特のフロウも手伝って新手のダンスホールと言った方が近いかも知れない。

ヒップホップとしては流石にどうかと思いはするものの、M14やM16、M18等の叙情性にはストレートに胸に迫るものも無くないし、M7やM11の素朴な感じのトラップも今となっては多少微笑ましくもあり、実を言えば全く嫌いなトラックばかりとも言い切れない。
Lil Uzi Vertなんかもそうだったが、解り易いポップネスだけで何となく聴けてしまうからそれはそれで厄介。

Japanese Breakfast / Jubilee

f:id:mr870k:20220205215207j:plain

宛らポップのショーケースのようなアルバムだ。
M1はJulia Holter「Have You In My Wilderness」のインテリジェンスを薄めたような(と言っても決して頭が悪そうという意味ではないが)チェンバー・ポップで、M2は直球のディスコ調。
M4のシンセ・ポップのギターはThe Flipper's Guitar時代の小沢健二のプレイを彷彿とさせ、ネオアコとか渋谷系とかいったタームを連想させたりもする。
(余り関係無いがプレーンでガーリーなイメージを喚起する歌声はBuffalo Daughter大野由美子みたいで嫌いではない。)
M7では逆にアコースティックなギター・ポップにテクノ・ポップ風のヴォコーダーを組み合わせており、単純なアイデアではあるが殊の外新鮮に感じられたりもするから不思議なものだ。

フレンドリーなメロディは時にJポップのように単純明快で、特にM8は小林武史辺りが手掛けたと言われても信じてしまいそうだし、M9はまるで松田聖子か誰かの往年のヒット曲かのようだ。
本人はコリアン・アメリカンだという事で、そのプロジェクト名が些か意味深にも感じられ、何か日本の歌謡曲に特別な思い入れでもあるのだろうか。

M6のディストーションの効いたシンセやリヴァービーな音像はBeach Houseのようなドリーム・ポップを連想させ、フォーク・ロック調に始まって終盤にシューゲイズ的な展開を見せるM10は羅針盤みたいでもある。
シューゲイザー的な要素やアコースティック・ギターを基盤にしたソングライティングとポップなメロディ・センスは、プロデューサーしてクレジットもされているAlex Gとの共通項も感じさせる。

とは言え宅録を強調するようなインディ臭さはまるで無く、流石はグラミーにノミネートされるだけあって極めてウェルメイド。
この手のインディ・ポップにしてはクラブ・ミュージックからの影響を殆ど感じないのも特徴的で、ブラック・ミュージック由来の要素もほぼ皆無と言って良く、Jポップ的に感じられる理由はその辺りにあるのかも知れない。

Lana Del Rey / Blue Banisters

f:id:mr870k:20220203225218j:plain

ブルーグラスヒルビリーを想起させるM3やM6のホーン・アレンジや、フリー・ジャズインプロヴィゼーションのようなM5のドラミング等、ジャズ・ヴォーカル・アルバム云々といった評価が全く解らない訳ではないが、アメリカーナ的な意匠の導入は今に始まった事ではないし、ヴィブラフォンの淡く深淵な残響の中を淡々とダブル・ベースが進むM1や、仄かなシンセ・アンビエンスにピアノだけが響き渡るM2が前作の延長線上にある事は間違いない。

寧ろEnnio Morriconeをトラップ調にアレンジしたM4のインタールードは些か唐突で驚かされるが、以降一気にモード・チェンジするのかと思いきや何も起こらず、引き続き「Chemtrails Over The Country Club」の延長線上にあるサウンドが繰り返されるのみで、アルバム全体を振り返ると一体何だったのか良く解らない。

比較的バック・コーラスが多く、M9では珍しく叫ぶようなヴォーカル・スタイルを聴かせる等、セルフ・イメージを打破せんとでもするかのような試みも無くはないが、敢えてだとしてもストロング・ポイントを弱体化させている感は否めない。
M9では男声とのデュエットも披露しているが、この声がまた吃驚する程魅力に乏しく、完全に逆効果だとしか思えない。

単なる「Chemtrails Over The Country Club」のアウトテイクではないという意思表示は確かに伝わってくるものの、総じてマイナー・チェンジの範囲内で大して変わり映えはしない。
歌唱の表現力や技術力の高さ、幅の広さには引き続き凄みを感じさせられるが、逆に言えば関心するのはそこだけで、必然性を全く感じないリリースではある。

Nala Sinephro / Space 1.8

f:id:mr870k:20220202213010j:plain

冒頭から柔らかなモジュラー・シンセの音色に一瞬で引き込まれる。
その上で自由闊達に歌うような鳥の囀りとハープはまるでユートピアを描写するかのようだ。
ハープの旋律は少しエスニックな感覚も惹起し、笙にも似たシンセの響きと合わさってスピリチュアルであると同時に何処か雅楽のような幽玄さも漂わせている。

多くのトラックでサックスがフィーチャーされており、モジュラー・シンセが醸出するアンビエンスやその他のエレクトロニクスによる細やかなトリートメントと、トラディショナルなジャズの要素とのバランスに於いて、Floating PointsとPharoah Sandersの「Promises」に通じるものがある。
(長尺で静謐なM8は特に。)

ジャズ+アンビエントと言えば確かに解り易いタグ付けにはなるが、モジュラー・シンセが一つの基調を形成しているとは言え、M3のようにドラムが一際の存在感を放つ楽曲もあり、楽器構成は不定形で1曲の長さにも幅がある。
シンセの音響を取っても揺蕩うだけでなく、ウォブリーでけれども優雅で且つ実に愉しそうに踊り廻るような瞬間もありそれほど単純でも一様でもない。

良い意味で掴み所が無いと言うか、思い付くままにキャンバスに色を置いていくような非常に感覚的な印象があり、それでいて色彩感覚には確かに統一感があるのはデザイン・センスだとしか言いようがない。
それは確かに一見有り触れているようでありながら、良く見るとストレンジ且つ非常に洒脱なジャケットにも通じるような気もする。
世間的には圧倒的に「Promises」だったようだが、個人的には2021年のジャズ・アルバムで最も好きかも知れない。

Joy Orbison / Still Slipping Vol. 1

f:id:mr870k:20220201222009j:plain

正真正銘ポスト・ダブステップ最後の大物による10年越しの遅過ぎるファースト・アルバム。
M3はBurial「South London Boroughs」を思わせるバウンシーな2ステップで、猛烈な懐かしさに包まれる一方で、今聴いても機能的であると同時に素晴らしくスタイリッシュで格好良い。
けれどもアルバム全体を通じて見ると、ダブステップ〜UKベース・ミュージックの名残よりも寧ろそこからの乖離の方が遥かに強い印象を受ける。

M4はHerbertを思わせるテック・ハウスで、M10等例えばNightmare On Waxみたいなグリッチ・ホップ以前のレイドバックしたダウンテンポを思い出させるトラックも多い。
M8は昔の~Scape辺りからリリースされていたとしてもおかしくないミニマル・ダブ風だし、M12やM14の微細なビートはクリック/マイクロ・ハウス的でもある。

ポスト・ダブステップ収束後の試行錯誤の跡が確実に聴き取れ、享楽的なだけでは決してないがそれでもフロアに背を向けた音楽でもまるでない。
ダブステップのバブルが弾けて以降にファースト・フルレングスを出したアーティスト、即ちPearson SoundでありUntoldでありFloating Pointsが、あからさまなまでにシーンとダンス・フロアに距離を置いたのとは全く対照的である。

Joy Orbison自身が語っている通りアルバムというよりもミックステープ的、或いはシングルを寄せ集めたコンピレーション的な佇まいで、あくまで軸足は現場=ダンス・フロアにあるとよう印象を受ける。
単純にどちらが良いという話ではないが、DJとしての現場主義者の矜持を強く感じる作品で、その職人気質にぐっと来るものはある。

Squid / Bright Green Field

f:id:mr870k:20220201215905j:plain

このタイミングでのUKのポスト・パンク・リヴァイヴァルというのには些か唐突な感もあって少しばかり懐疑的なところもあったが、良し悪しはさて置き猛烈にMark StewartやMark E. Smithを連想させるM2のヴォーカルは紛れも無くポスト・パンクとしか呼びようがない。
以降のヴォーカルは寧ろJames Murphyにも酷似しており、特にM3の冒頭はLCD Soundsystemにそっくりだ。

とは言え全体的にはエレクトロニックな要素は余り目立たないし、ダンス・パンク的な意匠も然程多くはなく、M11はTV On The Radioなんかに近い印象を受ける。
ついででM4冒頭のギター・アンサンブルは後期ゆらゆら帝国のようで、彼らが契約したのがDFAだったという事実が初めて腑に落ちる感があった。

一方でWireみたいなM5のコーラス部で聴こえるジェントルな歌声とその発声はLee Ranaldoを彷彿させるし、M11なんかには「Daydream Nation」〜「Goo」辺りの楽曲に近い疾走感もあり、そう思い始めると至る所でSonic Youthの影が散らつくような気もしてくる。
M3後半の女声の絶叫もKim Gordonか、そうでなければLydia Lunchみたいで、ノーウェイヴをUS版のポスト・パンクの一種だと考えれば自然にも思えてくる。

と言うかRadioheadから「Chocolate Synthesizer」期のBoredomsに雪崩れ込むような展開の楽曲もあり、UKオリジナル・ポスト・パンクもノーウェイヴ/ジャンクもオルタナティヴもゼロ年代のUSポスト・パンク・リヴァイヴァルも全て地続きだという当たり前の事に気付かされる。
2021年にこのようなサウンドがUKから登場するというのは意外ではあるが、好みなのは確か。