Sparklehorse / Bird Machine

ファズ・ギターとチープなリズム・ボックスの組合せがローファイなM1は、とても自殺した人間がその間際に残したものとは思えない程飄々としているが、以降はM6のパンクを除いてJeff Tweedyのソロにも通じるような、穏やかで長閑なフォーク・ロックが展開されている。
空恐ろしいくらいにドリーミーなM2には、FishmansやDeerhunterを彷彿とさせるような雰囲気もあり、牧歌的な中にも無理矢理死の気配を嗅ぎ取れない事もないという気はする。

何処までが生前の故人が残したマテリアルで、何処からが没後に施されたプロダクションなのかは全く判別が付かないが、仄かに漂うエレクトロニクスやチェレスタ等の清廉な音色からは、微かに残された周囲の人間達のセンチメントを感じるような気がする、という意味では確かにMac Miller「Circles」に通じる感覚がある。

ファズ・ギターやヴォーカルの肌理の粗いざらついた質感の音像は、確かにSteve Albini特有のものであるが、Mark Linkousの生前のレコーディングだと思われ、まさかあのSteve Albiniに限って感傷的になっているとは考え辛いし、また考えたくもないが、フォーキーな曲調が多い事もあってその特徴が活きた作品だとも余り思えない。

確かにメロディに心を掴まれる瞬間は少なくないが、決して独創的とは言い難く、バンドに思い入れが全く無いだけに、可もなく不可もなくという感じ。
そもそも思い入れが無いくせに遺作を入り口にする方が悪いのであって、そこに過度な期待を抱いてしまうのはDavid Bowie「Blackstar」という成功体験の弊害に思えてならない。

Skrillex / Quest For Fire

以前からFKA TwigsやBeyoncéの作品でその名前を見掛ける度に引っ掛かっていたが、JokerやFred Again..はともかくして、Missy ElliottMr. OizoFour TetからEli Keszlerまでもが参加しているとなっては、愈々無視も出来なくなった。
近影を見ると、EDM全盛期の如何にも脳味噌が小さそうな見た目からは多少落ち着いた感があり、サウンドの方も適度に成熟しているのだろうと想像していたが、これが正に当たらずも遠からずと言った感じ。

先ず意外だったのはウォブル・ベースや執拗なヴォーカル・チョップ、煽情的なブレイクといった、シグネチャとも言える要素が一切捨象されていない点。
EDMが過去の産物になった現在でも、自分のスタイルにある程度一貫した拘りを感じさせ、トレンドに合わせて右往左往するよりは余程好感は持てる。
JokerとFred Again..との共作であるM3・M4等は比較的イメージに近いダブステップで、アッパーなのは間違い無いが、EDMと呼べる程の大箱感は意図的に忌避されているようにも感じられる。

Missy Elliottのラップが強烈なフックになっているM2のエレクトロは、懐かしいSpank Rockボルティモア・クラブ、マイアミ・ベースといった単語を連想させ、Diploと意気投合するのも良く解る。
かと思えばスピーディなM9はHudson Mohawke「Cry Sugar」に通じるようなハイパーさで、思わずハッピー・ハードコア等という言葉まで想起させ、兎にも角にも節操は無い。

Four TetとのM6は若干フューチャー・ガラージ的というか、EDMが登場する直前の、SkreamやRuskoによって推進されたダブステップのポップ化がブロステップという言葉で括られた頃のサウンドを彷彿とさせる。
昨年で言えばやっぱりFred Again..が手掛けたRomy辺りに通じる感覚があり、意外に現在のモードにフィットしなくもない。
しかしそれにしても、只管ポップに突き進んだ2010年代と現在のダンス・ポップの隆盛を思えば、M.I.A.「XXXO」には先見の明があったのだとしか思えない。

Lil Yachty / Let’s Start Here.

冒頭のシンセの音色から、やはり代わり映えしないエモ・ラップ/ポップ・ラップかと思いきや、蓋を開ければ粘着質なエレクトリック・ギターがDMBQを思い起こさせるようなサイケデリック・ロックが展開されている。
プリズムのように乱反射するオルガンが特徴的なM2は、グラム・ロックのようでもサイケデリック・ソウルのようでもあり、少なくともLil Uzi VertやLil Nas Xよりは余程Yves Tumorに近い。
因みにこの曲には何にどう関わっているのかはさっぱり判らないが、なんとJam Cityがクレジットされている。

M1のタイトルにあるセミノールとは、柑橘系のフルーツの品種であると同時に、フロリダ辺りを起源とし、白人文化の象徴であるかのハードロック・カフェを買収したネイティヴ・アメリカンの一族の名前でもある。
これを知った瞬間に、Lil Nas Xのカントリー・ラップやカウガールの格好をしたSolangeにSZAやJorja SmithやAmaaraeのポップ・パンク、そして勿論突如としてロック・スターの意匠を纏い出したYves Tumor等が全て一つの線で繋がるような感覚があった。

つまりそれらは全て、ジャズやロックンロールにヒップホップにハウス/テクノといった発明を悉く白人に剽窃されてきた黒人の側からの、次は俺達/私達がお前達の文化を奪ってやる、という略奪と支配の宣言であるように思えてきた、という訳なのだが、とは言え本作は何もサイケデリック・ロックグラム・ロックだけで占められているという訳でもない。

M3のグルーヴィなベースやブラスが躍動する良質なファンクは、寧ろChildish Gambinoなんかと並べる方が適切なように思えるし、フィリー・ソウルのようなM8も心地良い。
シンセ・アンビエントとオートチューンが如何にもオルタナR&B的なM10は、在り来たりとは言え佳曲には違いなく、凡百のマンブル・ラップ/エモ・ラップよりは余程良い。
Kylie Minogue「Tension」と並んで2023年で最も良い意味で予想を裏切られた作品だと言える。

Earl Sweatshirt & The Alchemist / Voir Dire

Danny BrownはThe Alchemistと仕事が出来る事で自分が成功したのを実感するという旨の発言をしていたが、振り返ってみるとArmand HammerやMikeにもThe Alchemistと共同で作品を制作した実績があり、現在オルタナティヴを希求するラッパー達にとって、The AlchemistはEl-Pと並んで最も尊敬の対象となるプロデューサーであると言えるのではないだろうか。

考えてみれば2000年代初頭にDilated Peoplesと共に台頭し、Kanye WestJay-Zが王座に君臨したゼロ年代を生き抜き、トラップの時代にオーバーグラウンドでも確固たる地位を築き上げたこのプロデューサーは、現在のオルタナティヴ・ヒップホップのルネサンスと2000年代初めのアンダーグラウンド・ヒップホップを繋ぐミッシング・リンクのような存在に思える。

片やEarl Sweatshirtについてはかねてよりある意味ではTyler, The Creator以上に直接的に現在のオルタナティヴ・ヒップホップに至る道を舗装した存在だと思っているが、その2人が2023年にコラボレーション・アルバムをリリースしたというのは実に象徴的な出来事のように思える。
しかしもう一枚のシンボリックな作品であるJpegmafiaとDanny Brownの共作のアッパーさとは対照的に、「Sick!」である程度予想は付いた事ではあるが、本作の佇まいは極めて地味。

Danny Brown「Tantor」では珍しくエキセントリックなロック使いを披露したThe Alchemistだが、本作では通常営業といった感じで、マイナーなソウルや映画音楽等のレア・グルーヴのサンプリング・ループを中心にシンプルなビートを組み立てているのに対し、Earl Sweatshirtの方もいつもに増して淡々とゆったり揺蕩うようなフロウで応えている。
この2人が組めばこういう音楽になるだろうという想像通りの内容で、それ以下でも以上でもないが、ベテランならではの余裕と質の高さを感じさせる作品ではある。

Danny Brown / Quaranta

確かにフリーキーさは減衰し落ち着いた感があり、Danny Brownの作品の中では間違い無く突出して地味だとは言える。
インタビューを読むと敢えてトーンダウンを企図したところはあるようで、確かにラップにトレードマークである微かに狂気を滲ませるような上擦った声の使用は控え目で、地声に近い声色が大半を占めている。

但し地味とは言ってもあくまでDanny Brownにしてはという事であって、決して単調な訳ではない。
The Alchemistにしては珍しくいなたいロック調のM2は「Atrocity Exhibition」にも通じるエキセントリックさを醸し出しているし、M3やM4のサイケデリックなムードにはQ-Tipが手掛けた前作「Uknowhatimsayin¿」との連続性もある。

ビートのリズムの多様性はDanny Brownのオルタナティヴな存在感を際立たせてきた要素の内の最も重要なものの一つだが、本作では特にKassa Overallが関与したトラックが存在感を放っている。
流石はジャズ・ドラマーが作るビートだけあって、手数の多いファンキーなブレイクビーツはJpegmafiaの作るビートにも通じるアッパーさを備えている。
但し「Atrocity Exhibition」に於ける他に類似したものが思い当たらない特異なビートが齎す、危うささえ漂わせるフリークネスに較べると驚く程ではない。

そもそも期待値が高過ぎるが故に拍子抜け感は否めないが、少なくとも過去のどの作品にも似ていない点は評価に値するし、速球やフォーク・ボールばかりの配球では長続きしないのと同じように、こういうチェンジ・アップのような作品もキャリアには必要だろう。
2023年には本作の他にJpegmafiaとの素晴らしい「Scaring The Hoes」もあった訳で、未だ未だその存在感が翳りを見せる気配は無い。

Billy Woods And Kenny Segal / Maps

上音を構成する音色はジャジーなものが多いが、同時に至ってアブストラクトで、所謂ジャズ・ヒップホップと聞いて想像する類のポップなサウンドではまるでない。
M5のフリー・ジャズのサンプル使いと言い、Armand Hammer「We Buy Diabetic Test Strips」同様にやはりMoor Motherとの共振を強く感じさせる。

Kenny Segalのビートはミニマル且つローファイで、基本的にはシンプルなドラムマシンによるブーンバップ的なものが多い。
JpegmafiaよりもMadlibやThe Alchemist寄りのプロデューサーという感じがするが、時折瓦解するビートや、M2のローファイ極まりないギター、M7のAphex Twin「Selected Ambient Works Volume II」のサンプリング等、Billy Woodsのパートナーに相応しく一筋縄ではない。

アルバム全体に仄かな叙情性を漂わせていた「We Buy Diabetic Test Strips」に比べてメロウネスは希薄で、Danny Brownを招聘したM8等、時折ホラーコアばりのダークなムードも垣間見せる。
徹底してオフビートでアトーナルなBilly Woodsのラップとの相性は当然ながら悪くないが、その分違和感も無くややフックには欠ける。

特にアルバムが後半に差し掛かった辺りで顕著になる鈍重なビートや不協和音、ドローン等の要素が齎すドープネスはCompany Flow時代のEl-Pの作風を彷彿とさせる。
M15にはEl-Pに代わって、旧Definitive JuxクルーからAesop Rockが参加しており、2000年代前半のオルタナティヴ/アンダーグラウンド・ヒップホップへのリスペクトや連続性を感じさせる点は、その世代としては実に嬉しいものがある。

Tirzah / Trip9love...???

曲単位ではメロディックで明確なソング・ストラクチャがあり、一体どうしたのかと思うくらいポップ。
と言ってもあくまでTirzahにしては、という前提ありきの話であって、決してセルアウトと言う程のキャッチーさがある訳ではないし、ヴォーカルはワン・フレーズを繰り返す展開が大半で、相変わらず冗長と言えば冗長。
Tirzahに関してはその冗長さとは殆どスタイリッシュと同義であって、感覚的にはPublic Image Ltd.なんかを指して言う場合に近い。

各曲には微妙なビート・パターンやテンポの違いといった微少なレベルの差違しか無く、中にはノンビートのトラックもあるものの、基本はリヴァービーな音響と同質のコード感のピアノ・ループとブーンバップ的なドラムマシンのビートのシンプルな構成で、後半に入り漸く不穏なコーラスやディストーション・ギターの音色が登場する程度。

単にヴァリエーションに乏しいといったレベルではなく、意図的である事は明らかで、コンセプチュアルな作品であるのは先ず間違い無い。
アルバム全体で1曲と捉えるのが適切なのかも知れないとも思うものの、それにしては各曲の合間はしっかりと無音で区切られており、もっと独創的で突拍子も無いアイデアに根差しているものと推察される。

まるで同じ1曲の異なる部分を切り取ってループで引き延ばし、11の個々のトラックを作り出したした、言わば究極の省エネ作品のような趣きで、例えるなら同じ所をぐるぐると回り続けているようでいて、けれども何処か微妙に様子が違っている、とでもいうような方向感覚を狂わせる効果を生んでいる。
今まで1曲で完結していたトリックをアルバム単位に拡張したような作品で、やはり稀代のトリック・スターであると再認識せずにはいられない。