Marianne Faithfull / Negative Capability

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M2のNick Caveとのデュエットは、Patty Smithが歌うR.E.M.「E-Bow The Letter」を彷彿とさせるというだけで何となく絆されてしまうし、続く「As Tears Go By」も(単に耳馴染みがあるというだけだが)決して悪くはないが、M4の退屈でしみったれたフォーク・ロック・バラードで一気にげんなりさせられる。

どうもスネア・ドラムが入った瞬間に野暮ったいロック寄りのサウンドになる傾向があり、大袈裟なシンセと歪んだエレクトリック・ギターがHole「Nobody’s Daughter」やSmashing Pumpkins「Machina」のような商業グランジ風のM8は完全なる蛇足と言って差し支えない。
確かに「Nobody’s Daughter」を聴いた際に、未来のCourtney Loveに期待したのは正にこんなサウンドだったかも知れないが、今となっては考えを改めざるを得ない。

魅力的な嗄れた独特の歪みを内包した声は、年輪を重ねた云々の物語よりもただ音色として面白く、それをクリアに聴かせたい意図に一定の理解は出来るが、それにしても歌の音量が演奏に比して大き過ぎる。
間奏でもメインとなるストリングス等が強調され過ぎていて、M7のメロトロン風やM10のヴィオラ等の折角の音色は掻き消されてしまっている。
多様な音色を使っているにも関わらず意識に登る事は殆ど無く、音響面でも面白味は皆無と言って良い。
ソングライティングも極めて凡庸でコメントのしようが無く、歌声以外に触れるべきところが思い当たらない。

情念たっぷりのヴァイオリンが鬱陶しいM11は石川さゆり張りで殆ど演歌に近く、こういうのは言葉を選ばずに言えば老人が演るほど退屈だ。
やはり老いて尚、と言うよりも晩年の作品であればこそ寧ろ尖っていて欲しいと思うものだが、例えばDavid Bowie「Black Star」と本作の違いは、ディレッタントとシンガーの本質的な違いだとしか思えない。