A. G. Cook / Britpop

チープなシンセ・リフやアルペジオを積み重ねた躁的なサウンドやウェットなメロディは、昔のμ-Ziqを猛烈にフラッシュバックさせる。
間断だらけでなかなか素直にキックやスネアが入らない点や無駄に多いタム的要素等、結果として全く踊れないビート・メイキングも良く似ている。
D1-M8なんかはブレイクコアと言うか少しエレクトロニカ的で、プレーンなヴォイス・チョップが竹村延和を思わせたりもする。

3枚組でそれぞれが過去・現在・未来をテーマにしたコンセプト・アルバムの形態を採っている。
自分がμ-Ziqを連想したD1はつまり過去に当たり、親しみや懐かしさを感じてしまうのも無理は無いという訳だ。
そして現在に当たるD2では成程Charli XCX「Charli」や自身の「Apple」で聴かれ、そして極めて蛇足に思えたADM路線を中心に展開されている。
D2-M7に至ってはローファイな宅録グランジといった感じで、エレクトロニカ世代からすると完全に過去と現在とが逆転しているような印象を受ける。

最も重要な未来に位置付けられたD3は、オープニングこそTroye Sivan「Something To Give Each Other」にもあったエレクトロニックAORとでも言えそうな路線で、本人的にはこの方向性に手応えを感じているということなのだろうが、未聴の領域に踏み込んでいるだろうという期待もあった分、拍子抜け感は否めない。

D3-M2以降はハイパー・ポップ的なスタイルへの揺り戻しを感じさせるが、引き続きスラップスティックながらD1と較べると何処か抑制されているというか、少しソフィスティケートされた印象を受ける。
ハイパーでありながら同時に成熟を感じさせるエレクトロニック・ミュージックという点で何処かHudson Mohawke「Cry Sugar」に通じるようにも感じられ、2人が揃ってCharli XCXの新作を手掛けている事を考えると、何らかの同調があったとしてもおかしくはない。