Charli XCX / How I'm Feeling Now

f:id:mr870k:20200902215021j:plain

コンプレッサーでひしゃげたノイジーで耳障りなビートにアグレッシヴなラップが乗ったM1は、宛らインダストリアル・グライムの趣きで、或いは自身をM.I.A.の後継者に位置付けんとする宣言のようだ。
M2ではチージーなポップス調に、全く無関係なハーシュ・ノイズが同居しているが、この両極端なコントラストそのものこそCharli XCXの本来の付加価値だろう。

前作で足を引っ張っていた冗長なバラードも無く、「1999」のような如何にもバブルガム・ベースなトラックも少ない。
ドラムンベース風のブレイクが聴けるM7等のダンス・トラックも抑制が効いており、「Charli」のチージーさを挽回するようで、比較的(Charli XCXを聴いている自分に対する)後ろめたさは薄れたというか。

M10やM11の過剰に派手でレイヴィなアルペジエイターやサイレン音は最早ベース・ミュージックと言うよりもEDMのクリシェようで、何処かメタEDMとも言えそうな諧謔性を感じさせるという点で、RustieやHudson Mohawkeを思わせなくもない。
EDMを受け入れたくないというバイアスがそう自分に感じさせるだけかも知れないが。

メディアでも以前のミックス・テープに近いといった感想が散見されるのは要するにそういう事なのだろう思うが、COVID-19によるロックダウン下の自宅で僅か39日で制作されたという成り立ちに於いても、ミックステープと呼ぶ方が自然な気がする。
レコード会社のエクゼクティヴが意思入れをする余地も無かったであろうという意味で、逆説的に「Charli」が相当薄められていたという証左のようにも思えてくる。

Moses Boyd / Dark Matter

f:id:mr870k:20200826215448j:plain

M1はグライム/ダブステップ以降のUKベースのビートとジャズの融合と聞いて想像する通りのサウンドで、少し気恥ずかしさを覚えなくもない。
ビートは何処までが人力で何処からが打ち込みなのか判別が付かず、流石は気鋭のドラマーと思うものの、M8の些かストレート過ぎる2ステップ等、正直ビートが却って蛇足に感じる瞬間も無いではない。

ジャズとエレクトロニック・ダンス・ミュージックの関係性という点で、ジャングル/ドラムンベースを触媒にした20年前のウエスト・ロンドンの再来のようでもあり、女声ヴォーカルをフィーチャーしたM5等は正にブロークン・ビーツ風だ。 
個人的にこの曲や、M3のポリリズミックなアフロビート/ジャズ・ファンクくらい、軸足がはっきりとしている方が素直に楽しめる。

Gilles Petersonの関与を含め、嘗てのウエスト・ロンドンと現代のサウス・ロンドンには確かな連続性が感じられるが、Dego/4Heroにしろ、或いはCarl CreigのInnerzone Orchestraにしろ、クラブ/エレクトロニック・ミュージック側からのジャズへのアプローチがジャズのリスナーにまともに取り扱われてこなかったのと同様に、サウス・ロンドンもまたジャズ・リスナーの一部(つまりは正統なジャズ・シーン)からはハイプと見做されているような印象がある。

しかし少なくとも本作では、ObongjayarのヴォイスがGil Scott-Heronを彷彿とさせるM6や、アシッド・フォークにトラップを模したハイハットを付け足したようなM10を別にすれば、各楽器のソロにフォーカスを当てた、要するにオーセンティックなジャズらしい演奏が多々聴かれる。
その立脚点の曖昧さこそ、サウス・ロンドンのシーンが今一つジャズの側でも、クラブ・ミュージック(久々に使った、死語か?)側でもブレイク仕切れない理由の一つであるように思える。
勿論、別にそれで作品の価値が左右される訳では全くないし、余計なお世話でしかないのだが。 

Perfume Genius / Set My Heart On Fire Immediately

f:id:mr870k:20200825215844j:plain

M1はピアノのアルペジオ、ストリングス、コード進行等のどれを取っても「Everybody Hurts」そっくりで、ピアノが高揚感を煽るM12もR.E.M.っぽく、Mike MillsがPerfume Geniusを好きだというのも頷けるが、逆にMichael Stipeのヴォーカルの不在がぽっかりと空いた大きな穴のように眼前に突き付けられる。
Perfume Geniusの何処を取っても嫌いではないのに今一つ響かないのは、没個性な歌声のせいなのかも知れない。
(Grizzly BearとかVampire Weekendとか皆、声質が被り過ぎだと思うのは自分だけだろうか。)

前作が「Up」から「Around The Sun」辺りまでの、Bill Berryの脱退を契機にエレクトロニクスを導入した時期のR.E.M.をフラッシュバックさせたのに対し、本作は「Out Of Time」や「Automatic For The People」を彷彿とさせる。
と同時にM2やM10で聴ける90’sオルタナティブ・ロック的なファズ/ディストーション・ギターは「Monster」までも射程に入れるかのようでもある。

エレクトロニックな要素は比較的減退したものの、相変わらずRadioheadみたいな曲もある。
チェンバーなアレンジメントも健在だが、M4のチェンバロやストリングスの響きはThe High Llamasなんかを彷彿とさせ、ソングライティング面でのポップネスが大きく開花した印象もある。
これまでの作品では一番好みかも知れない。

それでもこの残らなさはBon Iverを聴いた後の感覚に近く、何故だか心から好きとは言い切れないのもBon Iverに似たナルシズムを感じてしまうせいだろうか。
第一、どれだけ繰り返し聴いても他のアーティストとの類似性でしか良し悪しを語れないというのは、オリジナリティの致命的な欠落の証拠だとしか思えないのだが。 

Moses Sumney / Grae

 

f:id:mr870k:20200804000111j:plain


シンセ・ベースやホーンにユニークな電子音/エフェクトの類が絡みエクレティシズムを醸し出すM2はDirty Projectorsそっくりで、そのファルセットが余りにDavid Longstrethに似ていて少し吃驚した。
ここでのDaniel Lopatinの存在感は「Dirty Projectors」に於けるTyondai Braxtonを連想させる。

Tyondai Braxtonと言えば、カオティックなM5やM11等はポスト・ロック/マス・ロック的で、ハープとダイナミックなドラム、ベースが融合したM4は、オルタナと言うよりもプログレR&B(かどうかは最早判らないしどうでも良いが)といった趣で、何処かグラム・ロック的な感覚もあり、Yves Tumorとの共振も感じさせる。
中盤~後半ではぐっと音数が減り、Daniel Lopatinの関与も頷けるアンビエント風、或いはJames Blakeに通じる雰囲気の弾き語りもある。

少なくともアルバム前半は、余りの耽美性に少し胸焼けを覚える程だった前作から一転し、オプティミスティックな軽さやともすればユーモアさえ感じさせ、冗長さは吹き飛んでいるし、ウィークポイントに感じられたヴォーカルの低中音域も完全に克服されている。
James Blakeに似て詰め込み過ぎの癖があるのだろうか、流石にアルバム2枚分は長く中弛みしなくもないが、相当の力作であるのは間違いない。

Daniel Lopatinの存在感が際立ってはいるものの、ThundercatやJames Blakeといった馴染みの面子に加えて、LAジャズからBrandon Coleman、UKジャズ界隈からはNubya GarciaにShabaka Hutchings、変わりどころとしてはJill Scottまでと、2010年代以降のエレクトロニック・ミュージックにR&B、そしてジャズの最先鋭が一同に介しており、それらの交錯点としてのMoses Sumneyの重要性を突き付けられるようでもある。

Soccer Mommy / Color Theory

f:id:mr870k:20200802213443j:plain

先ず思い出したのはLiz Phairがメジャーなプロダクションに舵を切った1998年の「White Chocolate Space Egg」だった。
ただ同作が確かにウェルメイドではあったが、90’sのUSオルタナティヴ・ロックがより広範なポップのイディオムを取り込み拡散してゆく最中のドキュメントとして、例えばPavementの傑作「Terror Twilight」等と並べて聴く事も出来たのに対して、本作からはまるで同時代性も批評性も聴き取れない。

メロディ・センスは確かにLiz Phairを彷彿とさせ魅力も解る。
ストレートアヘッドであるという意味では「White Chocolate Space Egg」以前の作品よりも思い切りセルアウトした「Liz Phair」に近いか。
ギター中心の旧態依然としたバンド・サウンドにキーボード等で装飾を加えただけのフォーク・ロックといった趣きで、シンプルで嫌味も全く無いがそれ以上に毒気も何の変哲も無い。

一体どういった層に歓迎されているのかさっぱり想像が付かず、少なくとも中年にはノスタルジア以外に手を出す理由が見当たらない。
要はだったらLiz Phairを聴くよという話だ。
じゃあCourtney Barnetはどうなのだと言われると確かにその差はほんの少しのユーモアと言う以外、自分でも説明は付かないが。

強いて言うならば、ストリングスやシンセによる残響処理やフィールド・レコーディング等のポスト・プロダクションが却って凡庸な印象を与えている嫌いはある。
今更特段サウンドに特異性を与えてくれはしないそれらの装飾の類に、敢えて手を出さなかった事で却ってアイデンティティを手に入れたという意味では、Courtney Barnetは賢明だったと言えるだろう。

Run The Jewels / RTJ4

f:id:mr870k:20200731233025j:plain

とうとうRun The Jewelsのアルバムも4作目を数え、枚数の上ではCompany FlowもEl-Pのソロも超えた事になる。
二人共最早ソロ作品を作る気配すら見せず、コンスタントにリリースを重ねる様子から察するに、El-PにとってもKiller MikeにとってもパーマネントなプロジェクトとしてRun The Jewelsを定めたという事だろう。

本作では遂にDJ PremireやPharrell Williamsと繋がって、最早アンダーグラウンドではまるでない。
El-PにとってのCompany FlowはDave GrohlにとってのNirvanaのようなものかも知れない(知名度という意味で言うならScreamの方が適切だろうか?)と思うと、Company Flowのファンとしては些か複雑な思いもある。

前作までと較べてブレイクビーツの比重が高く、特にM5のコーラス部のドライヴ感は堪らない。
Little Simz「Grey Area」やTyler, The Creator「Igor」に感じたブレイクビーツ復権がここでも確認出来る。
M3のビートにはエレクトロニックな質感もあるが、前作までのハイファイなそれよりもオールドスクール・エレクトロのようで、スクラッチやヴォーカル・チョップもこれでもかと詰め込まれている。

DJ Premierに加えてGreg Niceまでも召喚してGang Sterr「DWYCK」をリメイクしたM2に象徴されるように、90’s回帰は明白だが、とは言え元からトレンドとは一切無関係なだけに、特に大きく変化した印象は無い。
中年ラッパーが二人でこれだけマイペースに活動しながらインパクトを残し続けているというのは、ことヒップホップに於いては実に稀有な事のように思える。

10 Best Albums Of 2019

1. Floating Points / Crush
2. Little Simz / Grey Area
3. Flying Lotus / Flamagra
4. Weyes Blood / Titanic Rising
5. Tyler, The Creator / Igor
6. Danny Brown / Uknowhatimsayin¿
7. (Sandy) Alex G / House Of Sugar
8. Burial / Tunes 2011-2019
9. Freddie Gibbs & Madlib / Bandana
10. Solange / When I Get Home