Yo La Tengo / Popular Songs

今年出たSonic Youthの新作はインディに戻って最初の作品なのにも関わらず「Goo」や「Dirty」のようなストレートさで、一昨年のR.E.M.などは初期の作品よりもよっぽど若々しくロックなアルバムを作り、グランジ前後に活躍したアメリカの所謂オルタナ・アーティストたちの最近の音源を聴くと、どうも彼らの今のモードは初期衝動なのかなどと考えていた矢先、このYo La Tengoの新作はと言うと、全然変わっていない。
基本的には前作同様、バラエティに富んだ曲調が揃い、その安定感は流石の一言に尽きる。

ふとYo La Tengoは本当に変わっていないのかと考えてみると、そんな事はないだろうと思う。
出世作である「I Can Hear〜」から「Nothing Turned 〜」では大胆なシフトチェンジがあったし、ここまでスタイルが異なる曲群を一つのムードにパッケージングし始めたのは前作「I'm Not Afraid Of 〜」からだという気がする。

それでもやはりYo La Tengoに安定感や変わらなさを感じてしまうのは、きっと彼らが「捨てない」からだと思う。
先に挙げたアーティスト達に限らず、大抵長い事音楽をやっていると何かにつけ飽きたりもするし、新しい冒険をしようにも若い頃と比べると情報量も減っているし感受性も鈍るし云々で、大体過去の自分たちへの揺り戻しがあるものだろう。
それはそれで長年のファンには嬉しいものではあるし、決して一概に悪い事ではないのだが。

一方で「Popular Songs」には相変わらずのガレージ・パンクがありThe Kinksがあり当然The Velvet Undergroundがあり、更にはそれらと全く併置してアンビエントも鳴っている。

大抵のアーティストはスタイルを捨てる/拾うを繰り返すが、Yo La Tengoは恐らく何もを捨ててこなかった上に、今尚旺盛なリスナーとしての好奇心と、それを我が物にする突出したセンスでどんどんとその世界を拡張している。

Yo La Tengoを変わらないと感じるのは、自分がその膨張する世界の中で安住しているからではないか。
勿論自分がそこに安住が出来るのは、その世界が消えて無くならないと信じて疑わないからなのだけれども。
そんな事を考えていると些か諧謔的に感じられる「Popular Songs」というタイトルも強ちジョークでもないのかなどと思えてくる。

世の中に数多あるPopular Songsを吸い上げて膨張するYo La Tengoの宇宙、そんなイメージ。