Actress / Ghettoville

アルバム冒頭では、「R.I.P.」に辛うじて感じられたハウシーなフィーリングは雲散霧消し、退屈極まりないループを基調とした、Dean Blunt & Inga Copelandにも通じる荒涼としたヴィジョンが拡がっている。
中盤に差し掛かる頃には徐々にポップネスが回復してくるが、エレクトロニカとの類似性を感じさせた前作に対してより多彩なスタイルが披露されている。
LAビートにも通じるM6やフュージョン臭漂うM12にR&B調のM13、M7のメランコリックなメロディはAphex Twin「Druqs」を思い出させたりもする。

しかしサーフィス・ノイズの向こう側に聴こえるようなくぐもった音像は相変わらずで、ファンクのベースラインとイーヴン・キックに強烈なサーフィス・ノイズやインダストリアルなSEが挿入されるM9は本作のハイライトの一つと言って良い。

サーフィス・ノイズはActressのサウンドに於いて重要な役割を果たしている要素であると同時に、他にも例えばLaurel Halo等のモダン・エレクトロニカに於いて散見される要素でもあるが、彼等の音楽に於けるノイズの扱いは嘗てのそれとは全く異なっている。
エレクトロニカや電子音響に於いて、アンビエンスやノイズはそれ自体が音楽の重要な構成要素、または音楽そのものでもあったのに対し、ActressやLaurel Haloの音楽に於けるノイズやアンビエンスは、それを抜いたとしても(ひどくシンプルにはなるだろうが)音楽として成立するという意味では必要不可欠な要素ではない。

2000年代初めまでのエレクトロニカの一端が、ノイズを内在化させる事で非音楽による音楽を、或いは音楽を非音楽に解体する事を標榜していたとするならば、対して新世代は飽くまでも音楽を立脚点としている(同じ事はOvalとOPNの違いにも言える)のは確かなように思え、それ故にActressが本作に寄せて音楽にR.I.P.を捧げている事には興味をそそられる。