Solange / When I Get Home

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エレクトリック・ピアノやシンセ・ベースの柔らかな音響は引き続き、スローでチルでドリーミーな感覚は前作以上。
ホーム=アトランタがテーマという事で、流石に音から直接ブラック・カウガールのイメージが喚起される訳ではないものの、トラップやスクリューといったサウスのビートが基盤になっている。
とは言え勿論、解り易くダーティーなイメージを玩ぶようなものでは決してなく、あくまで洗練を纏っているのだが。

同じフレーズを繰り返すSolangeの歌は宛ら遊び歌か何かのようで、前作には未だあった解り易いポップネスは雲散霧消している。
まるでどの曲もインタールードであるが如く、何処から何処までが一曲なのか判別が付かないような、ある種のミックステープ的な在り方にはBlood Orange「Negro Swan」に共通する感覚があるし、その取り留めの無さはEarl Sweatshirt「Rap Song Songs」にも通じる。
名前を挙げた2人が共に本作にクレジットされている事を考えれば、そこに何らかの共振があると感じるのも強ち的外れでもないだろう。

この取り留めの無さの正体とは一体何か。
その答えの一つにはトラディショナルなポップ・ソングの構造、つまりはヴァースとコーラスという制度に対して、本作のヴァースがずっと続くような曲の構造に隠されている気がする。
そしてそれはKanye WestのKids See Ghostsの、どの瞬間もコーラスであるかのような感覚と表裏一体の関係にある。

それらのコーラスレス/マルチ・コーラスな構造はまた、ポップ・ミュージックにミュージック・コンクレート的意匠を持ち込んだOPN/Arca以降とも無関係ではないだろう。
或いは1曲の異なるパーツ毎に複数のプロデューサーを用いて構築するような最近のヒップホップ/R&Bの制作手法とも、曲とは何かを問い直すような試みであるという点で通底しているようにも思われ、それらの実験がKanye WestSolangeといった、USという世界最大のポップ・マーケットのど真ん中で行われている事にこそ重要な意義があるように思えてならない。