The Last Electro-Acoustic Space Jazz & Percussion Ensemble / Fall Suite

MadlibによるYesterdays New Quintetの変名プロジェクトによる新作は、Jim O'Rourkeの新作と同様に、1曲40分に渡る長大なジャズ作品だ。
とは言えここでは曲の長さには大した意味は無く、複数の小品を1曲に繋げてみたといった軽い感じ。
音の方は実にオーセンティックなスピリチュアル・ジャズで、レイドバックした雰囲気が非常に心地良い。

Madlibのジャズへの偏愛は今に始まった事ではないが、それにしてもこの作品にはヒップホップの要素が全く聴こえない。
敢えて言うなら鳥の囀りや川のせせらぎ、落ち葉が舞う音などの自然音のサンプリングが随所に散りばめられている点程度(それもあらゆるジャンルで使い古された手法だが)で、キックの弱いビートはジャズのそれそのものだ。

無知故の勘違いかも知れなのだけれど、最近どうもポップミュージックにおけるジャズの存在感が大きくなってきているような印象がある。
それはSoil & Pinp Sessionsのような若くて真っ当なジャズバンドが増えてきたというような話では全くなくて、ポップミュージックの趨勢の中でのジャズの在り方の話だ。

ヒップホップとジャズと言われるとどうしてもA Tribe Called Questを想起してしまうのだが、例えば「ジャズ・ヒップホップ」と呼ばれた彼らのサウンドにおけるジャズの在り方とは、サンプル、つまりは過去の音源としてのジャズだ。
ジャズ・ヒップホップとはあくまでもジャズを主なサンプル源としたヒップホップであって、当然ながらジャズそのものではない。
そのような形で長らくジャズは過去の参照物であり、採り入れられる要素としてこそ現在進行形のポップ・ミュージックの中に在り続けてきた。

一方でMadlibの新作におけるジャズの存在感はそのような要素的な在り方ではなくより本質的なものだ。
この事はMadlibほどQ-Tipがジャズ好きではない、なんていう単純な話ではないような気がしている。

最近の似たような事例として菊地成孔のジャズ回帰が挙げられると思う。
元々ジャズ畑の人間である菊池にとって、Date Course Pentagon Royal Gardenでの試みはジャズという現場からのクラブシーンへのアプローチであった。
その菊池がDCPRGを解散し、再びオーセンティックなジャズに回帰した理由は、ジャズの復権云々よりもクラブミュージックの求心力の低下にあるのではないか。

ヒップホップを一概にクラブミュージックという枠に当て嵌めるのは個人的に好みではないが、立場は正反対であれ、同じような事がMadlibの新作にも言えるのだとしたら、ここで起きている事は「ジャズ化」というよりも
「ヒップホップ離れ」と表現するのが適切かも知れない。

仮にMadlibのモチベーションがヒップホップから離れつつあるのだとしたら、その原因はアメリカのヒップホップを覆うやりようのない閉塞感にあるのでは、そんな気がしてならない。