Ghostface Killah / Apollo Kids

ヒップホップも誕生してもう30年以上になる訳で、ラップ・ミュージックがその成熟と共にスタイルの変容に乏しくなるのもある程度無理からぬ事だろう。
ロック・ミュージックの歴史と重ねてみるならば、The BeatlesはRun DMC辺りだとして、「Never Mind The Bollocks」は案外「Enter The Wu-Tang」なのではないかと思い至った。

それ以前のヒップホップにおけるバック・トラックにおいては、(多くの逸脱は勿論ありつつも)大雑把には如何に多種多様なサンプルを違和感無くミックスするかというある種のリアリティこそが命題だったと言えるだろう。
Pete RockDJ Premier、はたまたニュースクールの面々が推進し、The Rootsの登場である意味で本末転倒な完成を見たソフィスティケイトに対して、RZAの作るトラックの断片的で歪なループや粗い音質は、むしろそれが古いレコードの一部から盗用された「紛い物」である事を強調するようだったという点において、オールドスクール回帰であり表向きにはヒップホップにおける初めての戦略的な退行であったのではないだろうか。
そこでのトラックとラップの関係には、張りぼてのセットを背景に繰り広げられる不条理劇のような珍妙さがあり、それはその後Madlib9th Wonderなどのトラックメイカー達に引き継がれていった。

本作にはRZAこそ登場しないものの、Ghostface Killahは由緒正しきWu-Tangマナーに則って、ソウル/ファンクネタが歪に組立てられたトラックの上で唾が飛んできそうなラップを聴かせていて、相変わらずな印象はあるものの決して古臭さは感じない。
尤もスタイルの風化が停止した点こそが、現代ヒップホップの停滞を象徴してもいるのだが。

Ghostface KillahはM7において「ヒップホップは公園から始まった」とラップするが、このオールドスクール賛歌ではBlack Thoughtがその片棒を担ぎ、更にアルバムにはDJ Premireまでが参加している。
要はかつてヒップホップの洗練を推進した面々がこの復興活動に加担している訳で、現代のラップ・ミュージックの手詰り感を象徴するようでもある。
良くも悪くも飽和状態にあるシーンにおける、打開策としての原点回帰やプリミティヴィズムの効用についてはポップ・ミュージックの歴史の至るところにその証左が転がっている訳で、大々的なオールドスクール・リヴァイヴァルもそう遠い話ではないかも知れない。
というような事を考えていると現代ヒップホップの状況は、ポストパンク期からオルタナティヴまでのロック・ミュージックの「空白期間」に似ているのではないかと思えてきた。
きっと今だって地下では色々な動きがあるのだ。