Talib Kweli / Gutter Rainbows

ラッパーとトラックメイカーの結び付きというのはヒップホップ・カルチャーの一部のようなところがあり、Jay-ZやCommonのフックアップ無くしては当然今のKanye Westの地位も無かっただろうし、RZAがWu-Tang Clanを組織した背景にはラッパー達のプロモーションの目的があった。

現在のヒップホップと言うかラップ・ミュージックを覆う停滞感の一因には、J-Dilla/Madlib以降、ラッパーとトラックメイカーとのパワーバランスが大きく後者に傾いた事があるのではないかと思う。
LAでは誰もが(ラッパーではなく)ビートメイカーになりたがると言ったのは確かFlying Lotusだったと思うが、彼等には最早Thom Yorkeの為に空けるスペースはあってもラッパーに媚びる必要性は全く無い。
一方で取り残されたラッパー達は、馴染の面子からばかりトラック提供を受けるが故に、健全な新陳代謝が機能不全に陥っているというのが昨今のラップ・ミュージックを巡る概況だろうと思う。

Just BlazeやKanye WestやWill.I.AmやPete Rockといった大御所達とタッグを組んだ前作とは対照的に、Talib Kweliがメジャーを離れて1作目となる本作には、Ski BeatzやOh NoやMarco Poloという名前の他には(自分が知らないだけかも知れないが)然程著名とは言えないトラックメイカーの手によるトラックが大半を占めているが、どのトラックもポップで際立った個性があり、まだまだラップ・ミュージックを見棄てていないトラックメイカーも沢山居るのだなと感慨深くなる。

Talib Kweliのレイジーさとタイトさを兼ね備えた素晴らしく流麗なフロウが、それなりに振れ幅のある多彩なトラックを乗りこなし作品としてのトータリティを創出していて、シーンに風穴を開けるようなインパクトは無いけれども、現代のソウル・ミュージックとしてヒップホップを受容するならば申し分の無い出来栄えである。

この気負いの無さは、本作が既に完成しているという次作を控えた軽いジャブ的なリリースである事に起因してもいるようで何とも楽しみな話である。