Laurel Halo / In Situ

基本的には前作を踏襲するストラクチュアルなテクノで構成されているが、変則的でありながら明確なビートを基調としていた前作に比べて、ベースやスネアの役割は弱体化し、アブストラクトさを増した印象を受ける。
M2等に至っては、定期的に打たれるキックやスネアの存在はあれど、最早ビートの体を成しておらず、ある種のミュージック・コンクレート的だと言っても過言ではない。

M3等のボトムの軽い音像にはやはり2000年代初頭くらいまでのエレクトロニカを思わせる懐かしさもあり、その低音域からの脱却の傾向は、Pearson Sound等のテクノ寄りのベース・ミュージックに出自を持つプロデューサーや、最近ではKode9の近作とも共振している。
尤も本作の場合は「Nothing」とは違い、その代替して中高音域の厚みが増しているといった事も無く、全体的に希薄化された印象だが。

騙し絵のような眩惑的なリズム上のギミックは目立たなくなり、音響に対するフェティッシュな感覚も希薄になっている。
少ない音数の抜き差しのみのミニマルな、しかし流動的な展開はこれまで以上にクールで淡々としていて、所謂引き算の美学に支えられた作品であるのは確かだが、それにしても余りにもあっさりとしていて掴みどころには欠ける。

気儘に聴こえるエレクトリック・ピアノの音色がフリージャズを解体しリコンストラクトしたような長尺のM8では、慎ましやかに音量やフレーズをごく微妙に変えるベース・ラインが、インプロ的なトラック全体の中で焦点をずらすような効果的なフックになっており、可能性を感じさせる。
一応EP扱いの作品との事なので、発展途上のアイデアやアプローチをコンパイルした習作という位置付けの作品なのかも知れず、フルレングスへの期待は高まるばかり。