Andy Stottと共にインダストリアル・リヴァイヴァルを牽引したDemdike Stareの名前から連想するホラーなイメージとは対照的な、まるで北欧のコズミック・ディスコ作品にありそうな小洒落たデザインのジャケットと呼応するように、サウンドもまた一時代のフェーズの切り替わりを予感させる内容となっている。
M1のモーターの駆動音のような低音や強烈な破裂音によるビート、途中で湧き上がるゴシックなシンセ等に未だその面影はあるし、全編を通じて多様なノイズの存在感は言うまでもないが、如何にもインダストリアル・テクノといった趣きのトラックは少なく、寧ろLaurel Halo「Chance Of Rain」にも通じる創意工夫に富んだリズムの面白さに好奇心が煽られる。
Jamie XX「Gosh」に通じるパーカッシヴでポリリズミックなダンスホール調のM2から、ウォブリーなサブベースと硬質のスネアに生音っぽいキックのブレイクビーツの組み合わせが新鮮なM6や、聴きようによってはガラージ風のM7までと、ビートを構成する音色、テンポ、リズム・パターンは多様で飽きさせず、テクノ・アルバムを聴いている感覚はまるでない。
更には良く悪くもミニマル志向に寄った印象のある近年のエレクトロニック・ミュージックにあって、グリッチ・ノイズが緩やかにビートを刻み、やがてハーシュ・ノイズの狂乱を経て、ミニマル経由でガムランに似たオリエンタルなシンセがShackletonにも通じる面妖なテクノに変化する、タイトルからしてノイズ・フェティッシュなM3を始めとしてアイデアに富んだ、ある意味でドラマティックな展開が多いのも印象的で、M5の終盤に突然インタールード的に挿入されるぐにゃりと歪んだ音響を作り出しては笑い合う様子が、彼等の発想の豊かさや自由さ、遊び心を象徴しているかのようだ。