Matmos / Ultimate Care II

注水の音に続く、まるでアフリカン・パーカッションのアンサンブルか一時期のBoredomsようなトライバルなビートは間違いなく洗いの工程を、それに続くアブストラクトな電子音響は排水の工程を表現したもので、以降もアルバムは洗濯機の工程を忠実に再現し続け、最終的にはこれが本当のインダストリアルだと言わんばかりの脱水を想起させる打撃音よる怒涛のビートと洗濯完了を告げるビープ音で終わる。
これまでの作品と較べるとリズム・オリエンテッドで、上モノと呼べる要素は全体の2/3に差し掛かった辺りで漸く現れるアンニュイなシーケンス程度と、Matmosらしいファニーなメロディは抑制されている。

生活音を素材にした手法はMatthew Herbertを想起させ、実際にその音色は特に「One Pig」と似通っている。
但し「A Chance To Cut Is A Chance To Cure」に於ける外科手術の音が全くグロテスクには響かなかったように、Herbertがポリティカルなコンセプトを起点にマテリアルをピックアップするのとは違い、Matmosのそれは完全にユーモアに根差しており、何故洗濯機なのかを問う事に意味は無い。

但し例えばこれが自動の掃除機ロボットであったならば流石に音色に変化が無さ過ぎるだろうし、或いは食器洗濯機であればアルバムとしては収録時間が長過ぎただろう。
その意味では一定の継続する時間の中に、工程とそれに伴う音色の変化がある営為という点こそが重要で、寧ろ自動洗濯機を用いた洗濯という行為そのものが予め非常に音楽的 (ソナタ的と言い換えても良いかも知れない) であるとも言える。

それは無意味ではあるが、ポップ・ミュージックのフォーミュラやメディアが規定してきた(そして今やほぼ意味の無くなった)アルバムの収録時間等についての思考を促すという面で好奇心を唆られるコンセプトであり、同時に何よりもMatmosらしい、根源的な音楽を創るという行為の楽しさがコンパイルされている。