Thundercat / Drunk

スローナンバー中心の「The Beyond / Where The Giants Roam」では気付かなかったが、ドラム・マシンのチープなビートをフィーチャーしたM2や超絶技巧のエレクトリック・ベースが疾走するM3からは、成る程即座に「フュージョン」という単語が想起される。
それはロック史にとってのAORと同様に長き渡りジャズに於ける闇歴史とされてきたジャンルであり、Bon IverやAriel Pink等によって再びAORに光が当てられた2010年代前半から遅れること半ディケイドを経て、漸くThundercatによってパンドラの箱は開けられた。
そういう意味ではSquarepusher「Just A Souvenir」は少し早過ぎたのかも知れない。

M15の再録を始めベースによるアシッド・フォークといった趣きだった「The Beyond / Where The Giants Roam」の淡々としたムードを踏襲しつつも、曲調はもっと幅広くヴァラエティに富んでいる。
元The Doobie Brothers等という名前からも明白な通り、フュージョンとは切っても切り離せないAOR臭はアルバム全体に横溢していて、M8のインタールードのディスコ・テイストとも合わさって何処かNeon Indianに通じる感覚もある。

生ドラムによる淡々としたビートで占められていた「The Beyond〜」と較べてリズムは多様で、M7ではR&B的なビートの終盤にハイハットがジャングル風に裏拍を刻み、M11のポリリズム山本精一がParaで試行した「踊れないフュージョン」を想起させる。
タイトルからしテクノポップなM12やM13はまるでYMOのようで、デビュー当時のYMOがメディアからフュージョンとしてラベリングされたという細野晴臣の話を思い出す。
実際に影響があるのかは知らないが、言われてみればThundercatの洗練されたソフトなヴォーカルは高橋幸宏を思わせるところもある。
M14はDam-Funkを思わせるブギー・ファンクだし、M18なんかはアルペジオのベースが前作を踏襲しつつもMiguel Atwood-Fergusonによるストリングスや効果音が荘厳でスピリチュアルなムードを加えている。

24曲というヴォリュームもあって流石に些か冗長な感は否めないが、洗練されたヴォーカル/ハーモニーにオールドスクールなドラムマシンやシンセ、スペイシーなSEが醸し出すレトロ・フューチャー感とトリッキーなメロディ展開等が組み合わさった結果現出する音楽は、他に比類するものが思い当たらないという意味で圧倒的なオリジナリティを有している。