Floating Points / Crush

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激しく明滅するM1のストリングスの、そのアイデア自体も素晴らしいが、生音を決して単なる生音として聴かせないとでもいうような音響への拘泥も相変わらず。
一音一音が鮮烈で、細部に渡り一切の手抜きは無く、集中力の高さや几帳面で丁寧な人柄を窺わせる。
新しい音色や音響が最早望めなくなって久しい現在、最もそれに抗おうとしている存在がSam Shepherdだと言えるだろう。

ただここまでなら「Elaenia」の続きで、あくまで本作の白眉はダンスビートを軸としたトラック群にある。
M2のIDM、M3のダブステップ由来のフューチャー・ガラージ風、M6のテクノとスタイル的には幅広く、更にはM7のハードコア・ブレイクビーツ、複雑なビート・パターンが「LP5」の頃のAutechreやRichad Devineを思わせるM8のエレクトロニカ、洗練され大味さのまるで無い「Drukqs」のようなM11と、最早意図的に90's以降のエレクトロニック・ダンス・ミュージックの歴史を再現しているとしか思えない。

執拗なまでの音響へのフェティシズムは、ビートを構成する音色においても例外ではなく、M2の破裂音のようなスネアや、M6の重さと柔らかさが共存した、身体の芯に浸透していくように響くキックの一音だけで、そのトラックの世界観に即没入出来る。
M7の中盤でシンバルの靄が晴れ、一気に視界が開けるようにビートが疾走する瞬間の快感は筆舌に尽くし難く、本人的には逡巡あっての事だろうが、前作でビートを捨象した理由が一切理解出来ない。

解り易いメロディの反復に全く依拠する事無く、瞬間瞬間の断片的な音の集積で和音を形成し、アトモスフェリックなポップネスを醸出する手腕は圧巻。
と言うよりリズムとメロディに明確な区別は無く、各構成要素が恰も生き物でもあるかのように自然に音楽が生成されてゆく様は、音を繰り返し、重ね、抜き差しし、変化させるといった、テクノという行為の根源的な愉しさを思い出させてくれる。