Bicep / Isles

f:id:mr870k:20210220232111j:plain

単なる宣伝文句かも知れないが、ネクストDisclosureというのも全英チャート初登場2位という結果を前にしては強ち大袈裟では無いと思わざる得ない。
Ninja Tuneにとっても久々のヒット(と言う程そもそもNinja Tuneがそれ程大ヒットを産んだ記憶は無いのだが)で、かのレーベルに勝手に恩義を感じている身からすれば喜ばしい事ではある。

但しDisclosure「Energy」とは違って必ずしもフロア志向一辺倒という訳でもない。
トランシーなシンセ・リフは全く無くなっている訳ではないものの、レイヤーは控え目になって、前作の煌びやかさは何処か鳴りを潜めた印象がある。
ノンビートのブレイクも長くなり、とにかく脱フロア(と言う程踊れない訳ではないのだが)を試行する様が良く伝わってくる。

前作に較べるとストレートなイーヴン・キックは減って、ガラージドラムンベースに近いビートが増えた感がある。
M1のダウンビートで打たれるキックは典型的な2ステップのビートだが、揺蕩うようなシンセ・シーケンスが「Selected Ambient Works 85-92」を彷彿とさせ、Martynなんかに近い印象があるし、M4の5/4拍子のキックのガラージはFalty DLを思い起こさせたりもする。

ビートのヴァリエーションが増えた分、相対的に上物への依存度が下がった印象だが、ビートがそれなりの期待をさせる分、余計にメロディの凡庸さが気にはなる。
どのトラックもマイナー・コードのメランコリックな曲調で、フックになるような瞬間がまるで無いのが痛い。
総合的にはまだファーストの方が個性があったかも知れないと思う。

Carly Rae Jepsen / Dedicated Side B

f:id:mr870k:20210211220754j:plain

品の無いイーヴン・キックや芝居掛かった歌唱がチージーを通り越して陳腐極まりないM1のダンス・ポップは耐えがたい程に恥ずかしくとても聴いていられない。
Madonnaを彷彿とさせる軽薄な歌声が好みでないのは確かだが、それ以上に全く論理的に説明の付かない拒否反応や嫌悪感が沸き起こる。

少し冷静になると、ファンク風ポップのM2のウェルメイド振りは例えば個人的に昨年大いに気に入ったHaimとどれ程の違いがあると言うのか。
M7は2020年らしいレトロなディスコ調でJessie WareやRóisín Murphyと並べても違和感は無いし、80’sポップス・ムードが濃厚なM9にはThe Weeknd「Blinding Lights」と非常に良く似た感覚がある。

M4やM8等も80’sエレポップ風とブロステップ、或いは今風に言うならバブルガム・ベースが合わさったようで、Charli XCXとそれ程大差は無いかも知れない。
確かに耳触りの良いサウンドで、ノイズに分類されるエクストリームな音色は一切無く、音色/音響面での聴きどころは皆無と言って良い。
Charli XCXのようなメタ・ポップ的な感覚も希薄で、どう聴いてもBritney Spearsの延長線上に居るとしか思えない。

メロディにも捻りはなく凡庸としか言いようがないが、悔しいかなそのポップネスに抗えない自分が居るのも確かで、或いはBeyoncé「Lemonade」にノックアウトされて以降間口を広げ過ぎた結果もう頭がどうにかなってしまったのかも。
M1さえ無ければ割とすんなり受け入れてしまっていたかも知れない。

Bill Callahan / Gold Record

f:id:mr870k:20210211214855j:plain

ボリューム・レベルが大き目だというのは勿論あるだろうけれども、それにしても耳元で囁かれているかのようなバリトン・ヴォイスの低音の響きが改めて凄い。
微かに身体の芯を震わすようでいながら、あくまでジェントルで魅惑的な心地良さがある。
この声で揚々と歌い上げられたりしたらそれこそScott Walkerみたいに大仰になってしまいそうだが、あくまで朴訥とした歌唱が好ましい。

歌のみでなくミキシング全体にも耳のすぐ傍で鳴っているような臨場感と立体感があり、変に音響的に凝っているという訳ではないが、とても前作のツアーの準備の合間に突貫で録られたとは思えないクオリティ。
例えばJim O’RourkeやJohn McEntireの名前がクレジットに無いのが不思議な程だ。

スペシャルな声を持っているのだからシンプルに弾き語るだけでも充分に成立するところだが、曲の本質的な部分とは全く関係の無い、唐突で珍妙な装飾音にこそBill Callahanの矜持を強く感じる。
例えばM2の後半で差し込まれるシンセの持続音に、M3のSunn O)))を思わせるようなギター・フィードバックによるドローン、M5の銅鑼の音やM8のエフェクターで遊んでいるかのようなSEと、挙げ出せばキリの無いその一つ一つに一々ほくそ笑まされる。
曲のトータリティという意味ではそれらの音は完全なる蛇足だが、非常に魅力的な蛇足であるのは間違いない。

取り分け難解な作品という訳ではないけれども前作に輪を掛けてシングル向きな曲が無いにも拘わらず、実際には現在までに全10曲中9曲がシングル・カットされているというのだから訳が解らない。
不自然なまでに長い曲間も確かにコンピレーションに近い感覚を齎しており、散発的な日記のような作品で、アルバムとしての凝集性は希薄で、大作然としたコンセプト・アルバムの対極にあり、それは何処か現在のBill Callahanというアーティストを体現するようでもある。

21 Savage & Metro Boomin / Savage Mode II

f:id:mr870k:20210206214934j:plain

シアトリカルなピアノやシンプルなシンセのループが然したる展開も無く鬱々と続くバック・トラックは単調で、大したヴァリエーションも無く聴きどころに乏しい。
21 Savageのマンブル・ラップはフロウも平坦で声色にも面白味は無く総じて退屈で、やはり本作の肝要はビートにあるのだろうと思う。

確かにちょっとしたサブベースの音階/リズムの変化やカウベル使いがアクセントになっている箇所はあるが、全体としては如何にも当世風の典型的なトラップで最早新鮮味はまるで無い。
Metro Boominこそトラップのビートを発展させてきた張本人なのだから、それも無理はないとは思うものの、熱狂する程の何かがあるとは言い難い。

やはりカウベルの音色が印象的で、Run-DMCやBoogie Down Productionsと聴き紛うようなミドル・スクール風のビートにチープなシンセ・ストリングスが被さるM11は唯一異質で、オールド・ヒップホップ・ファンには堪らないものがある。
Denzel Curry「Zuu」と言い、ミドル・スクール回帰がポスト・トラップに於ける一つの傾向として顕になってきた感を新たにさせる。

一方でMorgan Freemanのナレーションによるシアトリカルなイントロや、嘗てのCash Moneyのパロディめいた毳毳しいジャケットは、90年代ギャングスタ・ラップへのオマージュにも感じられる。
その意味ではGファンクのメロウネスとは明らかに異なる、如何にもDrakeな感じのM4のメロウ路線は寧ろ蛇足に思える。
デプレッションメランコリアと結び付くようになってからのトラップはやはりどうも苦手だ。

The Avalanches / We Will Always Love You

f:id:mr870k:20210131211810j:plain

船酔いしそうなほどドラッギーで時折アッパーですらあった前作よりチルアウトして、「Since I Left You」に近い本来のドリーミーさが戻ってきた。
各曲がシームレスに繋がる展開は前作と同様だが、よりスムースでDJミックス的で、故に無難で新鮮味に欠けるところはあるが、彼等の本領が発揮された作品であるのは間違いない。

レコードのチリノイズに塗れた音像や、曲の切れ目が曖昧に暈された展開は正にサンプルデリックで、今更ではあるが2000年前後に花開いたヒップホップ/アシッド・ハウス以降の「Pet Sounds」の子供とでも言うようなThe Avalanchesの出自を再確認させられる。
(M4のMGMT、M24のCorneliusの参加はその印象を強化している。)

前作からは幾らかアウト・オブ・デイトな感じを受けたものだったが、不思議と本作にその印象は無い。
Perry Farrell(!)をヴォーカルに迎えたM10からM11に繋がる流れや、Jamie XX参加のM14を始めとして、ディスコ/ハウス調が目立つ点は、昨今のJessie WareやRóisín Murphyの作品ともリンクしているように思える。

M17ではトラップ風のハイハットが聴かれるが、尤もベースはブーンバップ的で、Denzel Curryのフロウも相変わらずオールド・スクール気味。
Denzel CurryはFlying Lotus「Flamagra」に続き、この客演で愈々Danny Brownに次ぐオルタナティヴ・ラッパーとしての頭角を確かにした感がある。
但し「Zuu」を聴く限り特段ジャンルを越境するようなところは無いだけに、このインディ界隈での人気には少し謎も残る。

Grimes / Miss Anthropocene

f:id:mr870k:20210129000359j:plain

冒頭の2曲はトリップ・ホップ風で、リヴァービーな音像と唸るサブベースの重低音がKevin Martinの諸作、特にKing Midas Soundと、GrouperInga Copelandがヴォーカルを務めたThe Bugの「Angels & Devils」を思わせる。
何処かファルセット主体の歌声にはFKA Twigsとの類似性も見出せる。

気候変動をテーマにした黙示録的なコンセプト故か、前作の言わばGrimes版のバブルガム・ポップ的な享楽性とは対照的なディストピックでゴシックなムードで覆われている。
単調なベースがSmashing Pumpkinsを彷彿させるM7や、Nine Inch Nailsのパロディのような日本盤ボーナス・トラックのM11では、より直接的なゴス(の影響を受けたオルタナティヴ・ロック)の要素も散見される。

とは言え終始鬱々としているかと言うとそんな事はなく、アコースティック・ギターフィドルバンジョーの音色が意外なカントリー・ポップ風のM3はTaylor Swiftのお株を奪うよう(かどうか実際のところ良く知らないが)だし、M4では漸くGrimesらしいエレポップも登場する。
ボリウッドエチオピアン・ポップスと、Roni Sizeみたいな(懐かしいThe Qemistsを思い出したりもする)オールドスクールドラムン・ベースを掛け合わせたようなM5も単純に盛り上がる。

マイナー調のメロディから一転、柔和でユーフォリックな感じさえあるM10(本編のラスト・トラック)が恰も暗闇に差し込む光のような効果を生んでいる。
タイトルが「Idol」ではなく「Idoru」なのが、ジャパニメーション好きのGrimesらしいと同時にコンセプチュアルな意図も感じさせる。
重いテーマでも沈鬱一辺倒にならず、トータルで聴かせるポップ・センスは流石だと言えよう。

A. G. Cook / Apple

f:id:mr870k:20210124213354j:plain

アコースティック・ギターをウォブル・ベースとオートチューンで装飾したバラードは、控え目に言っても陳腐で退屈。
A. G. Cook自身が全面的にプロデュースしたCharli XCX「Charli」と同質の冗長さがあり、やはりこいつが戦犯であったかと悪態の一つも吐きたくなる。
調べてみると一部ではEDMの次はADM=アコースティック・ダンス・ミュージック(なんという馬鹿みたいなジャンル名!)等と持て囃す動きもあるようで、それとの共振なのかも知れない(本人は「アコースティックEDM」と言ったらしいがまぁどうでも良い)。
確かに不思議と何と呼ぶのが適切か判らない音楽ではあるし、複雑なシンセ・レイヤーが齎す音響に感心する瞬間も無いではないが、DTMの音色でフォーク・ロックを再現しているようにしか思えず、総じて大して面白いとは思えない。

一方でハイエナジー風でレイヴィな大仰なシンセと、クワイトっぽいビートを掛け合わせたM2 、Joseph NothingみたいなチャイルディッシュでドリーミーなドリルンベースのM5、Rustieを彷彿とさせる躁的なM9等、チージーさとエクストリームを兼ね備えたダンス・トラック(全く踊れる気はしないが)はなかなかにエキサイティング。

件のアコースティック路線のトラックとの落差は半端無く、その対比は些か分裂症気味で、戦略的にコントラストを狙っているのは先ず間違いなさそうだ。
所謂バブルガム・ベース路線で埋め尽くせば、恐らくもっと解り易く歓迎を受けたであろうという意味では「James Blake」を思い起こさせるファースト・アルバムだが、その天邪鬼的なアプローチが成功しているとは言い難い。

何れにせよダンス・ミュージックの機能性は皆無で、ハウス/テクノ以降のエレクトロニック・ ダンス・ミュージックの延長線上ではない何処かから、新しいポップスの形を標榜している事だけは確かなように思われる。 
ただソング・ライティングは凡庸極まりなく、仮にそれが故意だとしても今一つ信用ならないし、猜疑心が払拭出来る程の説得力には欠ける。