Hyperdub / 5 Years Of Hyperdub

通説によれば、イギリスにおいて「ドラムンベース以降最大のムーブメント」と称されたダブステップは、ロンドンでUKガラージ〜2ステップのサブジャンルとして誕生した。
このシーンの中心人物であるKode9が主催し、最初のスターであるBurialを輩出したHyperdubの5年は、そのままダブステップの歴史と言い換えても過言ではないだろう。

このコンピレーションは新規トラックを集めたDisk1と、それ以前のリリースをコンパイルしたDisk2で成り立っており、シーンの変遷を俯瞰するようで非常に興味深い。
端的に言って、ダブステップの現在から聴こえるのは、様々な異なるベクトルへと向かうスタイルの多様化だ。
既にシーンのメインストリームとなりつつあるテクノとの接合や、ダブステップアイデンティティである低音域からの解放、更には歌モノの台頭とダブへの回帰によるダンスミュージックからの逸脱すらそのベクトルには含まれる。
それなりに統一感のあるDisk2と較べると、Disk1の散かり様からは最早多様化の域を超えた「拡散」という言葉すら想起される。
ここにはフォーマットからの逸脱に対する躊躇や抵抗感は全く聴かれない。
むしろ「非ダブステップ」への逸脱を競っているかのような印象すら受ける。

大方の見方と同じく自分も8割方はかつてのドラムンベースのように10年後にはダブステップも時代遅れとなり、表立った存在感を失うだろうと踏んでいる。
しかし同時に単なる直感でしかないのだが、別の可能性をこのシーンに見出そうとしている自分が居るのも確かなようだ。
少なく見積もっても最近の5年間、ポップミュージックの表舞台にドラムンベースが大々的に上る事は無かったと言って良いだろう。
(それでもいつかリバイバルはやってくるのだろうが)ブレイクコア以来ドラムンベースの変種が現れるような事も無かったし、ロックやその他のジャンルからアーカイブ的に流用される事も(表立っては)無かったと思う。
そして現在では「ドラムンベース」という言葉自体を耳にする事すら稀である。
個人的な見解ではドラムンベースの衰退の陰にはそのシーンの排他性とスタイルへの固執があったと考えている。
簡単に言えばその「変わらなさ」に飽きられたのだ。
勿論刷新と呼べる動きはあったが、多くの場合はシーン外部からのアプローチによるものだった。
テクノシーンによるドラムンベース(のビート)の借用に対するドラムンベースシーンの反応は多くの場合冷淡なものだったし、中には嫌悪感剥き出しの反応もあったように記憶している。

一方でダブステップのシーンは(少なくとも現在までは)むしろ外部とのコネクトに躍起になっているように見える。
Flying LotusやSamiyamらLAのビートシーンとのコネクションやPlanet-Mu、Scapeなどのテクノ〜エレクトロニカレーベルからのフックアップ、または2562やMartynらオランダのテクノシーンからの流入者がシーンのトップに立つ状況などは、その最たるものではないか。
これら外部に対するオープンな姿勢、スタイルやシーンへの執着の無さ、更には逸脱への志向性こそが自分がダブステップに見出す「別の可能性」の源泉となっている。
それは例えば、そのスタイルを多様化させたジャズが拡散の果てに、Derek Baileyにより最早にジャズとは認識出来ない音楽に辿り着く、そのような変遷への可能性だ。
拡散を繰り返し、どのようなサウンドダブステップなのか誰にも定義出来ない
しかしダブステップという言葉自体はそれなりの影響力を持って存在している。
10年後にはそんな状況もひょっとすると有り得るかも知れない。