Wiley / 100% Publishing

Dizzee Rascalが半ばフェードアウトしたかに見える現在も尚、一人旺盛にグライムを背負い続けるWileyの久々のBig Dadaからのリリースは、これまで交互に繰り返されてきたポップ志向とハードコア路線とがバランス良く共存した内容になっている。

ハードコア路線のトラックに於ける低く重たく唸るベースラインに少ない音数によるシンプルな構造や、1/4のスネア等の特徴の多くは初期のダブステップと共通する点であり、それらがかつて同じ場所から生まれたものである事を改めて思い起こさせる。
殆ど初めてポップ・フィールドでダブステップを紹介した2004年のRephlexのコンピレーションのタイトルが「Grime」であった事や、初期のダブステップが「インストゥルメンタル・グライム」という別名で呼ばれていた事を思い返しても、グライムとダブステップがその黎明期に於いては相互に不可分な、殆ど同一のスタイル/ジャンルであった事は疑いようが無いが、今となってはその距離は遠く散り散りに離れてしまった。

片やダブステップが今や収拾が付かないまでに多様なスタイルに拡散しているのに対し、一方でグライムは未だ7年前と殆ど変らない場所に留まり続けているように聴こえるが、それはグライムがダブステップと同様にUKのガラージ・カルチャーを源泉とする音楽である事と同等に、或いはもしかするとそれ以上にラップ・ミュージックの一形態である事を物語っているようにも思える。

現在のポスト・ダブステップと呼ばれる状況は、元々のオリジネイター達の試行錯誤の結果として現出したと言うよりは、テクノ/ハウス等のシーン外部からの人材の流入や、或いはかつてのドラムンベースやブロークン・ビーツの担い手達による、ある種の便乗の帰結として否応無く立ち現われてきた印象がある。
そこでは初期のダブステップが有していた構造上のシンプリシティという「余白」が重要な呼び水になったのだ思うが、グライムに於いてその余白を既に埋めていたラップという要素こそが「ポスト・グライム」の可能性を埋没させたとは考えられないか。

更に言えばそもそもラップ・ミュージック自体が潜在的に排他的な性格を有しているのかも知れない、といった邪推も現在のアメリカの状況を鑑みると如何にも自然に思えてくるものの、本作で最も新機軸と言えるM14は、まるでアンビエントをサンプルにしたUSヒップホップの様で何とも皮肉な…。