Erykah Badu / New Amerykah Part Two: Return Of The Ankh

前作でのファイティング・ポーズが嘘のように今度のErykah Baduは穏やかでスウィートだ。
?uestloveが久々にドラムを叩く「Window Seat」のイメージが強いのだろう(逮捕というトピックを提供したビデオの影響もあるか)、過去の作風への揺り戻しを指摘する声も良く聞く。
部分的ではあるがSoulquariansの復活曲とも言える「Window Seat」は嬉しい限りだし、フリーキーなプロダクションが目立った前作に比べると確かにオーセンティックな印象はある。

けれども例えば「Baduizm」に収録されていたとして違和感の無い曲は殆ど無いような気がする。
実際、凡百のR&Bと呼ばれる音楽から逸脱したプロダクションをこのアルバムからは幾つも挙げる事が出来る。
特に全編を通じて現れるテルミンの音色は後退を拒絶するErykah Baduの意思を聴くようだ。

Madlib9th WonderやShafiq Husayn、そしてJ Dillaといった先鋭的なプロデューサーとのパートナーシップも最早堂に入ったものだ。
殆ど同じ面子のプロデュースによる前作がフリークネスを前面に押し出していたのに対して、本作にこれ見よがしな点は全く無い。
むしろ彼らのトラックをオーセンティックに聴かせる事の出来る技量に現在のErykah Baduの凄みを感じもする。
フリークネスとオーセンシティを自在に行き来出来る表現の幅や自由さこそ「New Amerykah」シリーズを経てErikah Baduが手にした最大の成果ではないか。

セールス的には「Baduizm」に及ぶ筈も無いが、そのクリエイティヴィティにおいて現在のErykah Baduがキャリアの頂点に居る事は間違いように思える。
10年に及ぶD'Angeloの不在、そしてソウル・ミュージックの未来を担うシンガーとしてErykah Baduの孤軍奮闘は続く。