Oorutaichi / Cosmic Coco, Singing For A Billion Imu’s Hearty Pi

00年代のブルックリンに現れた所謂Boredomsチルドレンと呼ばれた一派の中で、Black Diceは「Super Roots」シリーズの実験性を踏襲するようだったし、Gang Gang Danceに「Super Are」以降のトライバリズムやシャーマニックな表現を見出す事は然程難しくはないが、Animal Collectiveサウンドの何処にBoredomsの影響があるのかは中々理解出来ずにいた。

同様にこの日本版Boredomsチルドレンの代表格によるストレンジ・ポップは、Max Tundraに通じるような耳馴染みの良さが目立ち、表面的にはBoredomsサウンドとの共通性は希薄であるが、この音楽を彩る様々に加工された電子音や器楽音や具象音は、例えばタブラの音が不思議な程に如何なるエキゾティシズムを喚起させないように、その多様性に反して全く記号的ではなく、取り分け意味を剥奪された声はMax Tundraとはまるで対照的に、最早歌とは呼べない「音」にまで還元されている印象を受ける。

ライブハウスの爆破未遂などの逸話が形成したダダイスティックなパブリック・イメージに反して、ハナタラシ名義での伝説の録音集「ザ・ヒット・パレード」において、自ら掘った穴に犬と共に籠り只管吠え続ける等の音響実験を繰り返していた山塚アイは本質的にはサイエンティストであり、その実験精神が最もポップに昇華した作品が「Chocolate Synthesizer」だったと思う。

少なくともある時期までのBoredomsの音楽には美学的な価値を認められてこなかった音が散乱しているけれども、種々の玩具楽器の類が決してチャイルディッシュな印象を与えないように、また嘔吐の音すら特段グロテスクには響かないように、それらの音は徹底して元の文脈や社会性から切り離されているが故に、その混在として立ち現われる音楽は些かもエクレクティックではない。

表層的な印象は全く違えどオオルタイチの音を扱う手付きには確かに山塚アイに通じる即物的と言っても良いようなドライな感覚があり、そのポップネスと共に本作を2011年の「Chocolate Synthesizer」と呼んでみたい気分にも駆られる。

そしてオオルタイチAnimal Collectiveに共通する声に対する過剰なエコー処理は、いずれもその恐らく地球上で最もべったりと社会性に寄り添った音を、その文脈から切り離す為の剥離剤としての役割を果たしているようにも思える。
音を単なる音として扱うというその極シンプルなアプローチは、例えばSleigh Bellsのように音の持つイメージと戯れるよりも余程ラディカルに思われ、大阪とブルックリンという遠く隔てた場所でほぼ時を同じくして、彼らが共にBoredomsの音楽を深く的確に咀嚼した事に尊敬の念を禁じ得ない。