Simon Reynolds / Rip It Up And Start Again : Postpunk 1978-1984

自分がポップ・ミュージックに纏わる特殊で些か閉鎖的な文化圏に帰属意識を覚え始めたのは、多分まだグランジ・ブームの余韻冷めきらぬ1994年の事で、音楽専門チャンネルKurt Cobainに関するやや陰惨なニュースに加えて、Dinosaur Jr.の「Feel The Pain」とかNine Inch Nailsの「Hurts」とかSoundgardenの「Black Hole Sun」といったオルタナティヴと括られるバンドのPVをそれは繰り返し繰り返し放映していた。
ロック雑誌は挙ってNirvanaのブレイクを契機とする価値の転覆を称賛し、頻りに現在が如何にポップ・ミュージックにとって幸福な季節であるかを喧伝していた。
それらに拠ればそれ以前の時代には面白い音楽など何も無かったという事らしかった。
少なくともパンクにまで遡らなければ。

我々の教わった80年代、Simon Reynoldsが言うところの「Never Mind The Bollocks」から「Nevermind」までの期間を、ロック・ミュージックにおける空白であるとする説が捏造された出鱈目だという事には、流石に2000年の初めくらいまでには薄々気付いてはいたものの
本書を読んで更に確信した事が二点ある。

一点は正にその空白の期間に起こったポストパンクこそが90'sオルタナティヴの直接的な先祖(の少なくとも一つ)であるという事。
Red Hot Chili PeppersGang Of Fourが居なければ生まれ得なかっただろうし、Kurt CobainはThe RaincoatsやDevoをこよなく愛した。
RadioheadTalking Headsの曲名をバンドに冠し、Smashing Punpkinsには明白なJoy DivisionNew Orderへの憧憬がある、というようにそこには濃厚な影響こそあれ、ステレオタイプな前世代の否定の影は無い。

二点目はオルタナティヴと呼ばれた音楽の大部分がその呼称に関わらず良く言えばプリミティヴな、悪く言えば旧態依然としたロックンロール回帰だったという事で、著者のように思春期にリアルタイムでThrobbing GristleThis HeatやEinstürzende Neubautenに触れた人達の眼には、それらが如何に退行的で前時代的な音楽に映ったかは想像に難くない。
恐らくそれは自分があの忌々しいThe Strokes現象に出くわした際に覚えた感覚と同質だったに違い無い。

90'sオルタナティヴに関して捏造された物語は多くの面でパンク神話の焼き直しであるが、先に挙げた二点は殆どそのままオリジナル・パンクにも当て嵌まる。
本書からは70年代後半のイギリスでDavid BowieLou ReedIggy PopBrian Eno及びRoxy MusicそれからCaptain Beefheartの影響が如何に多大であったかが読み取れるし、John Lydonに至ってはごく最近あろう事か「Pink Floydが嫌いではなかった」旨の発言をして多くの元パンクスを落胆させた。

確実に言える事は音楽であれ何であれ、人間の営為である限り、ある日突然劇的に根底から変わったりはしないという事で、常にそこでは過去から綿々と続く直接的または反面教師的な影響関係の糸が複雑に絡まり合いながら次第にその形を変えてゆく。
ところが(自分を含め)音楽ファンという人達はとても飽きっぽいので、たまに革命というような大きな物語を必要とする、それがパンクやオルタナティヴという「造られた神話」の本質であろうと改めて考えさせられた。