Samiyam / Sam Baker's Album

LAのLow End Theory界隈の、Flying Lotusを旗印としたシーンから出てくるサウンドには、とうとう現在に至るまでこれと言った新しい呼称が与えられていない。
時に没個性に「エクスペリメンタル・ヒップホップ」とか、或いは単純に「LAビート(シーン)」と呼ばれたりする事もあったが、中でも最もピンと来ないのが「グリッチ・ホップ」というやつで、元々それは「エレクトロニカ・ミーツ・ヒップホップ」とも呼ばれたPrefuse 73やPush Button Objectsや、今ではすっかりポスト・ダブステップの人として再起したMachine Drumなんかの音楽を指していた。

音楽制作に於けるインフラがラップトップだという共通項から来ている事なのかも知れないが、今ではそれはヒップホップに限らず標準的な事であろうし、大体Flying Lotusらのサウンドには少なくとも「グリッチ」にカテゴライズ出来るノイズは殆ど登場しない。
言葉の定義に拘泥したい訳ではなく、むしろこの事は一部にはLAの新しいビーツをエレクトロニカの延長線上にあるものとして、或いはその残滓として位置付ける認識が存在している事を示唆している(そしてその認識は割と一般的な)のではないか。

「Los Angeles」のリリース後だったと思うが、Flying LotusDaedelusに聴かせて貰った1曲を除いてPrefuse 73の音を聴いた事が無いと語っていた。
Daedelusという媒介者の存在は無視出来ないにしても、確かに両者のサウンドは似ても似付かないし、エレクトロニカと呼ばれたサウンドからの多少の影響はあったにせよ、例えばUKガラージやジャングル/ドラムンベースからダブステップへといった連続性は無く、個人的にはその間の断絶の印象の方がむしろ強い。
エレクトロニカからの影響にしても、直接的なものと言うよりも、Flying Lotusの場合は例えばRadiohead「Kid A」等を経由した間接的なものであるように思える。)

エレクトロニカとLAから発せられる比較的新しいビーツとの間に横たわる断絶は、他でもないFlying Lotusサウンド・メイキングの複雑性によって見え辛くなっているようなところがある気がするが、Samiyamの場合は一転して解り易い。
ハイハット的な要素が少ない、極シンプルでズレを内包したリズムやぶっきら棒なミキシングは、Flying Lotusよりも余程J DillaMadlibからの連続性を感じさせ、ウォブリーでメロウなシンセサイザーが加わる様からは、J DillaDam-Funkの邂逅といった表現が思い浮かぶという点に於いて、BrainfeederよりもStones Throw的である。

それはStones ThrowからBrainfeederへという、LAに於ける先進的なヒップホップに纏わるパラダイム・シフトの丁度真ん中に位置するような音楽で、両者の連続性を体現するような存在だと思う。