Common / The Dreamer / The Believer

No I.D.との久々のタッグ作。
エコーの効いた女声のループの中、立ち現れるピアノの音色が確かに「Resurrection」のオープニングをフラッシュバックさせる。
思えば当時は未だ自分の将来もヒップホップの未来も無尽蔵に感じられたものだが…。

ヒップホップの教科書に沿った埃の降ってきそうなソウル・ミュージックのサンプリング・ループやスクラッチ、ファットなビート等の特徴は、近年だとGhostface Killahのアルバムに通じるものがあり、Nasとの「Ghetto Dreams」はGhostface KillahがBlack Thoughtを相棒にして「ヒップホップは公園で始まった」とラップする「In Tha Park」とシンクロする。

何時からかアメリカのヒップホップは明らかに輝かしい日々を懐かしむようになった。
ポジティヴに捉えるならば、成熟したヒップホップという表現手段がノスタルジアという可能性を獲得したのだとも言え、一概に悪い事とも言い切れないが。
或いはそれらはヒップホップのクリシェを用いた「基本に戻れ」というメッセージなのかも知れないが、だとしたら逸脱しているのは一体誰…?

とは言え、本作の例えばM1のエコー/リヴァーブ処理が象徴するようなローファイでサイケデリックな音像は無視出来ない要素だという気もする。
拡散するハイハットの残響やこれ見よがしなレコード・ノイズ、重低音のベースが齎す音割れや様々なSEが一体となって醸し出す混濁は、近年のアメリカン・インディ・ロックのモードにも通じるようで、Stereolabを担ぎ出すような嗜好の持ち主ならばありそうな話ではあるけれど、結果的にはとうの昔にMadlibなんかが作り出したサウンドとそう大して違っているとは思えない。
けれども、少なくとも本作は過去のCommonのどの作品にも似ていないし、変化し続けるという事はきっと老いを楽しむ上でとても重要な事だ。