Oneohtrix Point Never / Replica

三田格はOPNの音楽について「ノイズもアンビエントも等価」と評していたが、本作ではそのようなDaniel Lopatinの作家性が前作よりも遙かに解りやすい形で提示されている。
「Returnal」で「Nil Admirari」が象徴するノイズと
「Ouroboros」のようなアンビエントとに分裂していたその作家性は、本作では一つのトラックに安易に融和する事無しに共存していて、スラップスティックと叙情、グロテスクと優美、聖俗、美醜等のアンビヴァレンスが内在化した点に於いて、確かにかつてのAphex Twinのパブリック・イメージを彷彿とさせる。

多層的に重なり合うシンセが醸出する幽玄さやニューエイジ臭が薄れたのに代わって、様々なサンプリング・ループや前作では聴かれなかったピアノやブラス等の器楽音がアルバムの基調を成している。
アンビエントと呼ぶよりコラージュと呼んだ方が相応しそうな音楽で、出所不明の面白さは薄れた感も無くはないが、代わりにこれまで遠くで薄らと漂っていた諧謔性や悪意が前面に出てきた印象がある。

サンプリング・ループを指してと言う事なのだろうが、欧米のとある評論家は本作を「デュシャン的」と評している、と野田努が書いていた。
そこでは恐らくレディメイド、取り分けあの「泉」等が念頭に置かれているのだろうが、ある文脈のもの(便器)を全く別の異なる文脈(美術)に持ち込む事によって生じる違和こそがその肝要だとすれば、それが何らかの作用を発揮するには視聴者が対象物―便器やモナリザ―を「知っている」事が大前提となる。
無名の人間の肖像画に髭を付け加えてみたところで、髭を生やした人の絵以上のものにはなり得ない。

一方で本作で繰り返されるフレーズのソースは、誰しもが知っている類のものでは(恐らく)ないし、仮にそうだったとしても切り取られた部分が極々短すぎる為に認識する事は難しい。
かと言ってエレクトロニカに於けるクリック・ノイズのように純粋な音にまで還元されている訳でもなく、そこでは唯ぼんやりと「元便器だったであろうものの余韻」みたいなものが漂っているのみである。

デュシャン的」な方法論が最早ポップに消化される現代に於いては、本作がそれとなく撒き散らす悪意の方が余程良識的な大人の眉を顰めさせ、気分を逆撫でする可能性を有しているようにも思え、本当に久々に如何にも性格の悪そうな、幾分トリックスターめいた表現者が現れた事に(自分だって疾うにいい歳扱いた大人であるにも拘わらず)嬉しくなってしまう。