Animal Collective / Centipede Hz

「Merriweather Post Pavilion」以降に発表された二枚の関連作 ‐ Avey Tare「Down There」とPanda Bear「Tomboy」‐ に共通して抱いたのは、良くリヴァーブとかエコーとか飽きないな、という率直な印象だったが、本作を聴く限りどうやら遂に飽きたらしい。
残響音によるヴェールが剥れた事でノイジーでスクエアな音響が前景化し、これまで然程は意識しなかったエレクトロニクスの存在感が増している。
躁的なテンションと微細な電子音が奔放に跳ね回る様子は例えばDat Politicsみたいな懐かしのエレクトロニカを彷彿とさせさえする。

面白いと思うのはエレクトロニクスが顕在化する事で、却って神秘化された森の動物達のイメージは薄れ、逆に機材の散乱する部屋で制作に勤しむ男達の姿が目に浮かぶようだという事で、その点で評価が分かれる作品ではあるのだろう。
確かにアルバムに先達て観たTaicoclubでのライヴは本作の収録曲中心のセットリストだったが、そこに嘗ての圧倒的なユーフォリアや言葉に言い表せない程の生命力の横溢を感じる事は出来なかった。

その一方で本作は今まで以上にAnimal Collectiveサウンドの突出した情報量や音色そのもののユニークさや、また多様な要素をポップに纏め上げる編集技術等をクリアに聴き取る事が出来るという点で(再三指摘されてきた事ではあるが)、IDMアメリカン・インディの交錯点としてその存在を再認識させる内容でもある。
そしてその存在が嘗てのエレクトロニック・ミュージック不毛の地で、今や例えばOneohtrix Point NeverやEmeraldsがカルトとしてではなしに受容れられる基盤の、少なくとも一角を作り上げたのは間違い無い事のようにも思える。

本作は恐らくFlying Lotusの新作と並んで2012年に最も待たれたアルバムであろうが、今後Animal Collectiveの新譜が同様かそれ以上の熱度を以て待望される事は二度と無いだろう。
しかしそれでもやはりAnimal Collectiveは特別なバンドなのだと、本作は雄弁に語っている気がしてならない。