Eiko Ishibashi / Imitation Of Life

石橋英子を紹介するのに「シンガーソングライター」という言葉が用いられているのを何処かで目にした記憶があるが、SSWが字義通り「歌い手であり且つ歌を書く人」を意味するのであれば、その語程不適切な表現も無いと改めて思う。
勿論彼女のフラットな歌声やそのトリッキーなメロディ・ラインは実に魅力的だが、それはその音楽性のほんの一部でしかなく、歌のみに焦点を絞ってこの音楽を受容する事は、豊潤なアレンジメントや卓越したバンドの演奏や、Jim O'Rourkeの驚異的なミキシングを隅に追い遣り兼ねない危険性を孕んでいる、というのは流石に言い過ぎか(それ程に未熟な耳の持主が石橋英子を選んで聴くとは思えないし)。

所謂SSWの作品として本作を聴いたとすると、例えばM1の長くスリリングな反復部分等は冗長な間奏にしか聴こえないだろうが、寧ろ彼女自身の力点はそのような部分にこそあるように思えるし、別に話は歌とインストを対立項として据えるような事ではないにしても、事実本作から歌が聴こえる箇所だけを切り取ったとしたら、収録時間は半分にも満たないだろう。

その在り方は90's以降にテクノの台頭が齎した「歌はあっても無くても良い」という態度とも少しずれているように思え、確かに如何にインストの部分が多くても、彼女の曲に一切歌が介在しないものも(自分が聴いた範囲では)無い。

思い当るのはプログレッシヴ・ロックに於ける歌の存在で、変則的なリズムや転調など共通項も多いし、そう考え始めるとM5なんかは特にプログレにしか聴こえなくなってくる…。
或は引っ掛るのは時折音の層を掻き分けていきなり耳に飛び込んでくる不穏な言葉の数々で、もしかすると石橋英子の歌はこれらの言葉を音楽に接続する為に必要不可欠な触媒なのではないかと思ったり。