Avey Tare / Eucalyptus

相変わらずエコーや効果音に塗れてはいるが、冒頭の珍しく明瞭なアコースティック・ギターの音色が変化を予感させる。
Panda Bearをチルだとすれば、Avey TareにはAnimal Collectiveの躁サイドを担ってきた印象があるが、本作のメロディは憂いさえも感じさせ、様々な電子ノイズや環境音やエフェクトで装飾されてはいるし、M4・M5のようなコラージュとしか呼べないような曲も存在はするものの、全編を通じて基調となっているのはアコースティック・ギターの音色で、ビートの存在感の希薄さと相俟って完全にフォーク・アルバムと呼んで差し支えない内容になっている。

エコーで混じり合ってはいるものの、アコースティック・ギターの他にもスライド・ギターやハープや管楽器等の音色を演奏に分解して聴取出来る点は、これまでのAnimal Collectiveやソロ作品と抜本的に異なっているように思える(ストリングスをフィーチャーしたM9等はチェンバー・ポップ風と言っても過言ではない)。
いつも通りヴォーカルへのリヴァーブ処理は健在だが、心なしか控え目であるにもよう感じられ、M4のコーラスこそPanda Bearとのユニゾンを思い起こさせる (特にクレジットされていないのでオーバーダブによるものだろう)が、比較的素の歌声が披露されている場面も多く、こんな声だったのか驚かされたり(低音がBradford Coxを思わせる瞬間もあったり)する。

しかし本作に於いてフォークである事は即ちソング・オリエンテッドである事を意味していない(フリーク・フォーク等に分類される音楽はどれもそうかも知れないが)。
Angel Deradoorianのコーラスをフィーチャーしたエスニック・ポップ調のM6(ギター・オリエンテッドサウンドとコーラスが昔のDirty Projectorsに通じなくもないが、それよりも強烈にTune-Yardsがフラッシュバックする)や、出来損ないの「Summertime Clothes」のようで、Animal Collectiveの原型を聴いている気分のM12等はラジオ・フレンドリーと言っても差し支えないが、その他の大抵の曲は曲調がいつの間がらりと変わるわ、曲同士もシームレスに遷移するわで、曲の輪郭は限りなく曖昧になっている。

アルバム中のどの断面を切っても同じように微睡んでいて、徹底して取り留めが無くファジーな展開・構造は、歌の存在が無ければ、ある種の電子音響や現代音楽のようだ。
かと言って歌にその抽象性や難解さを覆い尽くすほどの求心力があるかと問われるとそうとも言えず、何度聴いても睡魔には抗えない。