Darkstar / News From Nowhere

無意識の内に何とかベース・ミュージックの名残を探そうとするせいか、ついつい低音に耳は向くが、他のシンセポップと比較すれば確かに多少ボトムに重さは感じられるものの、多彩な表情を見せるシンセ音の豊潤さと較べれば、取り立てて強調されていると言うほどの個性はそこには無く、最早ポストを幾つ重ねようとダブステップとの共通項は見付からない。
本作の中心に据えられているのは間違い無くJames Butteryのヴォーカルで、Warpによるエレクトロニクス主体のポップソング集という意味ではBroadcastを思い出したりもする。

Trish Keenanに限らず人声によるアンビエンスの創出は(刷り込みの結果かも知れないが)女声の専売特許のようなところがあって、極僅かな例外を除いて男声は圧倒的に不利な実情があるが、James Butteryの中性的で稀有な声はアルバム全体に単なるチルアウトとは何処か違った奇妙な浮遊感を齎している。
その声はまたトラックに応じて実に器用に表情を変え、ポリフォニーと4ビートがAnimal Collectiveを想起させるM7ではPanda Bearのようなユーフォリアを、M11ではThom Yorkeのようなメランコリアを醸出する。

本作に於いて歌は勿論不可欠な要素だが、その第一の重要性は多種多様で個性豊かな音色/音響を媒介する役割にこそあるように思え、ポップスとしての体裁は必ずしも必然的なものとは思えない。
音自体の創出が目的化したエレクトロニカ/電子音響のようなこれ見よがしな新奇さとは無縁で、そのサウンドの特異性はポップソングと見事に融和しているが故に、一聴した限りではなかなかダイレクトに耳に届いてこないが、一度背景に意識を向けると、揺らぎ、歪み、震え、滲み、木霊する複雑なニュアンスを孕んだ多様な音の数々が、フェードアウトしては同時に次々と立ち現れる。
本作ではまた多くの器楽音(らしき音)が登場するが、一音一音に丁寧、且つ繊細で緻密なトリートメントが施される事で、電子音/ノイズとの境界線は最早無効と言って良いほど限りなく曖昧になっている。

音数は多く、音色の幅広さにも拘らず不思議とカオティックにはならず、それらの音が渾然一体となって形成するストレンジ・ポップは正に「ダブステップの奇妙な遺産」なる形容詞に相応しく、頑なにダブステップに触手を伸ばそうとしなかったWarpが重い腰を上げた事にも頷ける。