Nicolas Jaar / Cenizas

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第一印象はとにかく地味。
一定のリズムにメロディと歌があり、一応ポップ・ソングの形態を纏っているが、折衷主義は少なくとも表面上は抑制され、ポスト・クラシカルに接近したような印象を受ける。
鍵盤楽器を中心としたコンポジションもあり、ムードとしては坂本龍一「Async」に近いだろうか。
或いは例えばTarwaterかMatthew Herbertの本人名義をもっとメランコリックでゴシックにして、ポップネスを薄めたような印象で、そのメランコリアはFKA Twigs「Magdalene」に通じる。
同一人物が作っているのだから当たり前ではあるが、特にM9は「Magdalene」の導入部を思い起こさせる。

当時は特段そんな印象は受けなかったが、本作と較べると「Space Is Only Noise」が随分とユーモラスに聴こえてくる。
このシリアスさは一体どうした事か。
それなりにビートに存在感があるM13等は未だ過去作との連続性を辛うじて残しているけれど、最早ハウスでは全くない。
少なくとも過去の作品にも増してクラブ・ミュージックとの接点は見出せない。

表面的なメロディやリズムと、それらを構成する音色にも新奇性は希薄で、本作の肝要はそれとは別のところある。
例えばM5の転げ回る甲高い打撃音、M10のサックスの咆哮はフリー・ジャズのようでいて、一方で時折(常時ではないのが肝)人力では絶対に再現不可能と思われる推移を見せる。
生音を加工して生成されたものだろうとは思うが、一般的な波形編集による電子音響とは趣を異にしており、一体どのようなプロセスで作られているのか仔細の想像が付かない。
まるで新種の楽器のエキシビションのようで、久々にそれこそFloating Points「Elaenia」以来の音響が主役の作品だ。
ポップ・ソングとしての体裁や全編を覆うメランコリーがギミックにすら思える。

M13は一見普通のドラム演奏のようだが、その複雑なパターンもまた人力では再現不可能に思え、生音を分解してビート・プログラミングする手法はそれこそ腐る程そこら辺に転がっているがここまでさりげない例は他に思い付かない。
(そしてその違和感が何処から生じるのかも特定出来ない。)
一見普通そうだが視点を変えてみる事で生じる違和感は、奇妙なジャケットにも表象されているように思え、その辺りに本作の狙いがあるのかも知れない。