FaltyDL / Hardcourage

ヴァラエティに富んだビートと曲調で良い意味でとっ散らかった印象のあった前作と較べてイーブンキックが多く、音色にも統一感がある。
執拗なドラム・ブレイクがドリルンベース以前のμ-ZiqみたいなM1やM8のノイズ混じりのブレイクなんかに破天荒な面影が顔を覗かせる場面もあれば、M5のダウンテンポやM9の1/4ビート等決して4つ打ち一辺倒という訳でもないが、トータルとしてはより抑制され、ハウス寄りになった印象を受ける。

とは言え耳触りの良い音だけの小奇麗に纏められた作品ではなく、茫漠と霞んだアトモスフェリックで時に歪んだ音色やアブストラクトなマテリアルはダンスフロアでの機能性を第一に作られたとは思えず、何を標榜したのか良く解らない点は相変わらずではある。

ハウシーなフィーリングの一方で実はメロディを強調する要素は然程多くはなく、逆に機能性と対極にある無為なサーフィス・ノイズの目立たないが確かな存在感がまるでサブリミナルのように無意識に訴え掛けてくる。
ハウス・ミュージック×ノイズという配合で言えばHerbertのようにコンセプチュアルでもポリティカルでもなく、Actressのようにアヴァンギャルド性が前面に押し出されている訳でもなく、喉に引っ掛った魚の小骨のように只管何となく邪魔(という意味で至極純粋)なノイズの存在がこの音楽の立脚点を曖昧で不明瞭なものにしている。

敢えて挙げればその存在自体のファジーさは何処となくDaedelusを想起させるところがあり、そう言えば本作で2人はレーベルメイトとなった事に思い至った。
そう考えると新たなジャンルを創り出すというよりは既存のジャンルを越境し混合し撹乱する事を真骨頂としてきたNinja Tuneがポスト・ダブステップ文脈から拾い上げたのがFloating PointsとFaltyDLだったというのは案外腑に落ちる話ではある。