Björk / Vulnicura

前作のアグレッシヴさが嘘のような歌とストリングスを基調としたフォーク・アルバムといった趣きで、全編を覆うメランコリーは「Vespertine」を彷彿とさせる。
ソング・オリエンテッドなM1などは正に同作収録の名曲「Unison」を思い起こさせるが、本作で扱われるエモーションは真逆と言って良い。
Matthew Barneyとの離縁が本作のサウンドにどう作用したかなどに大した興味は無いが、例えば通底する不協和音に「Family」なるタイトルが冠されたM5などは如何にも示唆的ではある。

その他に本作のトピックと言えば何を置いてもArcaとのコラボレーションだろうが、特有の琴を変調させたかのような金属的な音色や、情念の権化のようなストリングスや歌に合わせて、強弱やピッチを有機的に遷移させていくビートにその存在は感じるものの、まるで最初からそこにあったかのように余りに違和感無く収まっていて、例えば「Jòga」のAlec Empireリミックスのような、真っ向から異なる要素の拮抗による鮮烈な異化効果はここには無い。
そういう意味ではArcaの素養は本作のエモーションに余りに綺麗にフィットし過ぎているとも言える。

ストリングスはこれまでもBjörkのサウンドに於いて重要な要素であったが、本作では極僅かな例外を除いて上モノと呼べる要素が首尾一貫ほぼストリングスのみで構成されており、歌を除いてはビートでさえもその付属品のように大人しい。
歌とストリングスに従属していたビートはM8で漸くそれらの要素と拮抗し始め、自立性の萌芽を見せたかと思えば、続くM9ではアルバム中随一アグレッシヴに跳ね回る。
明滅するストロボライトのような音像が「Hunter」を彷彿とさせるそのビートはしかし、意外なほどクライマックスに達する事無く、突然フェードアウトして、そのままアルバムは終わる。

期待した筈のそのビートは音色の面でもエモーションの面でも全体から明らかに浮いており、それどころかM5のアヴァンギャルドやAnthony Haggertyとのデュエットすらもトータリティからすれば些か蛇足に感じられる。
混乱が表現されていると言えば聞こえは良いが、捉えどころが無く焦点が絞れていない印象で、仮に本当に離別や喪失感がテーマであるならばBeck「Sea Change」のようにソングライティングにフォーカスし、M1の流れを踏襲しても良かったのではないかと思わされる。