Kode9 / Nothing

ディストピックなファンファーレのようなイントロのM1や、続くM2のその重要なインスピレーション源の一つであるKevin Martinを思わせる可聴域ぎりぎりで唸る強烈な重低音は如何にもSteve Goodmanらしいが、満を持して導入されるM3のビートは、移り気なKode9にしては意外に思われるほど、3/4のスネアがストレートなダブステップへの揺り戻しを感じさせる。
その分The Spaceapeのあの独特なトースティングの不在を強く意識させ、そのぽっかりと空いた穴のような空虚は正に「Nothing」と題された本作の本格的な幕開けに相応しい。
M5に配置されたインタールードではその穴を埋めるかの如く本作で唯一The Spaceapeの声が挿入されるが、エフェクトにより宛ら死後の世界から届いたメッセージのように聴こえる。

M4では対照的にらしくないメジャーなコード感のシーケンスと透明感のある女声のヴォーカル・チョップにボトムの軽さが奇妙な空虚感を漂わせ、M7のオーセンティックな音色のピアノ・ループが齎すジャジーな感覚は新鮮で、確かにネクスト・フェーズの到来を感じさせる。
更にM12では初期の代表曲である「Nine Samurai」が軽快なジューク・トラックに生まれ変わり、原曲の持つ沈鬱な雰囲気は一掃されている。

キックよりタム、スネアやベースより上位のレイヤーでチョップされるシンセや種々のサンプル、微細な電子ノイズ等、総じて低音域より中高音域に力点が置かれており、前作の主要なインスピレーション源がUKファンキーだったとすれば、本作では代わってジュークが基調になっているのは明らかで、ダブステップの持続性のある重低音は細かく刻まれるサブベースに取って代わられている。
しかしそのスタイルはフリークネスを強調するものではまるでなく、これまでのKode9の作風と比較すればポップと言っても差し支えないメロディや煌びやかな音色が目立つ。
その手付きはジュークという元来プリミティヴで奇怪なローカル・ミュージックをポップ・フィールドに通用するまでに洗練させたDJ Rashadの意思を継ぐようでもある。

全編の至る所でThe SpaceapeとDJ Rashadという2人の故人の存在を強く感じさせる1枚で、まるで喪に服すような密室的なフィールド・レコーディングのホワイト・ノイズと、微かに人の気配を感じさせる物音が10分に渡り滔々と続くM14は間違いなく2人へのレクイエムであろう。
理論家としての顔とは対照的に、そのようなセンチメンタルで些かストレート過ぎなくもないアイデアを衒いなく披露するところが、如何にもKode9らしくチャーミングではある。