Machinedrum / Vapor City

アルバムはPoleやKit Clayton等のエレクトロニカ時代のミニマル・ダブを思わせるアトモスフェリックでダビーなシンセで幕を開け、時流に乗ってジャングルを基調に、ラガマフィンや自らの出自であるグリッチホップ、或いはジュークの特徴的なタム使いやダブステップの唸る低音等々を織り込んだかと思えば、ジャジーエレクトリック・ピアノやギター・リフでハウス・リヴァイヴァルに目配せをし、果てにはJames Blakeに通じるウォブリーなシンセからレイヴ風の大ネタ、はたまたアンビエント/ドローン調やあろう事にチルウェイヴまでと、その音楽性は実に幅広くまた節操の欠片も無い。

Prefuse 73のフォロアーとして広く名を売った人だけに、あらゆるスタイルは借物でオリジナリティは皆無であるが、サウンド・デザインやビート・プロダクションのスキルやメロディ・センスは確かで、異なる意匠を執拗なまでに混淆させる事でぼんやりとMachinedrumの音としか呼びようの無い独自性を浮かび上がらせるのが、如何にもNinja Tuneのリリースらしい。

扇情的なヴォーカル・チョップや性急なハイハットに、唸る重低音等のアッパーな要素の一方で、全体的に茫漠として霞みがかったようなエコー処理によって幽玄でドリーミーな音像で統一されているのは、Travis Stewartが一定期間見続けたという夢がコンセプトになっている事とも関係しているのだろう。
リズムの引き出しは多様だが、派手なブレイク等は意外に少なく、展開は寧ろ淡々としていて、否定的に言うならば単調でフックに欠けるのは否めない。

完成度は文句無しに高いにも拘らず、寧ろそれ故にかも知れないが今一つ引き込まれない作品と言うのは、近年のNinja Tuneの作品に幾度となく抱いた感想で、更に輪を掛けて節操の無いA&Rを繰り広げるWarpに結局良い所を持って行かれているのが何とも口惜しい。
しかし良く良く考えてみれば、Ninja TuneWarpほどエポックメイキングと呼べる作品があるかと言えば確かに思い付かず、そもそも例えばOPN等に手出しをするレーベルである筈もないのであって、いつだってNinja Tuneがヘッドフォンで聴かれる為の音楽ではなくフロアの為の音楽をチョイスしレコメンドしてきた事を思い出すべきなのかも知れない。
少なくとも本作に収められたトラックが、幕張メッセの広大なフロアで聴く方が余程良かったのは確かである。