前作ですっかりバロック・ポップのスターにのし上がった稀代の才女は、本作でポップ・シンガー/ソングライターとしての成熟度を更に高めている。
初期の宅録女子によるアンビエント/ドローンからは隔世の感を禁じ得ないが、やはり一切のセルアウトを感じさせないところこそ彼女の音楽の特異性であり、その類い稀なバランス感覚の為せる技であろう。
前作より一層顕著になったストリングスの存在感は特筆すべき点だが、更にシンセとポリフォニー、そしてそれらの残響が渾然一体となって醸成されるユニゾンが齎す奥行きのあるアンビエンスは、本作でその洗練を極めた感がある。
その他にもピアノ、チェンバロ、サクソフォン、フルート等々、多様な楽器の音色の彩りも鮮やかで、アレンジメントも幅広く、決してこれ見よがしではないがエレクトロニクスによる装飾も効果的で、トラディショナルなポップスとモダンなアンビエント/ドローンが高次元での融合を見せている。
ストリングスと歌が主役である点はBjörk「Vulnicura」と共通しているが、音色やエモーションの多様性に於いてもポップネスに於いても実に対照的で、ここでの語り部としてのJulia Holterの歌は時に厳かで、時に勇壮で、時に不気味にまた溌剌と、各々の曲の持つ独自の世界観を雄弁に喚起させる。
Björkや例えばJoanna Newsomの声がその独自性によって良くも悪くもサウンド全体を規定してしまうのに対して、Julia Holterのプレーンで匿名性の高い声質は、いとも簡単に曲に溶け込むことが出来るという点に於いて、ポップ・シンガーとして最適な資質を備えている。
威風堂々たるポップ・シンガー振りとは裏腹に、室内楽とフリージャズとポエトリー・リーディングが入り混じった混沌から歌が立ち上がるM9では、エクスペリメンタルな本質が発揮されている。
但し細部に渡るどのような拘りにもアヴァン趣味を垂れ流すような押し付けがましさは皆無で、あくまでも最終的にポップネスに寄与する点は、やはり作り手の性格の良さを映し出すようで、それはまた現在のところJulia Holterの音楽の限界でもある。
欠点の無い音楽というのもそれはそれでまた窮屈なものだ。